トヨタのイマイチだった車が抜群に変わった事情 好決算叩き出す「もっといいクルマづくり」の系譜

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この目標を掲げた理由を豊田社長に聞いてみると、「すべてはスープラでの悔しさ」だと語ってくれた。豊田社長がマスタードライバーの成瀬弘氏から運転訓練を受けたのは有名な話だが、トレーニングが進んでドイツ・ニュルブルクリンクでの走行を行ったときの話だ。

ニュルブルクリンクは新車開発の聖地と呼ばれる過酷なコースだが、インダストリーと呼ばれるメーカー占有日が存在する。各メーカーは偽装を施したテストカーで試験を行うが、トヨタには数多くのモデルをラインナップしていながらも、すでに生産終了したスープラ(4代目、A80系)しか満足にニュルを走れるクルマがなかった……。販売台数で世界一が見えているにもかかわらず、中古車しか選択肢のない屈辱を受けた。

「経済的/お買い得」だけが印象だった

確かにリーマンショック以前のトヨタ車を振り返ると、残念ながら「経済的/お買い得」という以外の記憶がない。逆を言えばそれ以外の魅力は欠けていた……ということだ。トヨタには「原価低減」という天下の宝刀があるが、筆者はクルマの仕上がりを見る限りは「儲けるための手段」にしか思えなかった。

そんなことから「トヨタは走りをわかっていない」「クルマづくりが間違っている」と言う人もいたが、それは「できない」ではなく、さまざまな制約から「やりたくてもできなかった」のである。そこで、豊田社長はその見えない“何か”を解こうとした。

その1つがモータースポーツを通じて自動車ファンを増やすことを目的に、副社長だった豊田氏と成瀬氏を中心に社内有志メンバーで設立された「元祖GAZOO Racing」だ。実は発足当初はトヨタの正式なプロジェクトではなく、言うなれば同行会のような組織で、トヨタの名を使うことすら許されなかった。

彼らは2007年にニュル24時間へと挑戦。モータースポーツに関しては素人同然で試行錯誤の参戦で「24時間を何とか走り切った」という満身創痍の挑戦だったが、レースという極限状態を通じて、人とクルマを鍛えることで、「もっといいクルマづくり」「味づくり」にフィードバックできると直感したそうだ。

その後、2008/2009年のニュル24時間耐久レースに開発途中のレクサスLFA(当時はLF-Aと呼んでいた)が参戦。それは新車のプロモーションでも話題作りでもなく、純粋な開発テストだった。豊田社長は、「走りにこだわるクルマはニュルで鍛え、育てないとダメです。テストコースの中でNVHを見ているだけではダメです。クルマはもちろん、エンジニアの意識改革もしないといけないと思いました」と語った。2009年の東京モーターショーで量産モデルが発表されたが、その評価は……今さら言うまでもないだろう。

次ページニュルのノウハウ・経験が量産モデルにも生かされた
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