「朝、相手が寝ている間に知り合いの家に逃げ込み、1週間後に九州の実家に帰りました。離婚するのに3年ほどかかりましたけど……」
人に言われたことは真面目にやるけれど「稼ぐ力」がないと自覚している亮子さんには弱みがあった。一緒に暮らした7年間は、基本的に修平さんの給料と事故後の保険金で生活費を賄っていた。無駄遣いはしていないがその証拠はない。「勝手に使った金を返せ。それまでは離婚に応じない」と修平さんに訴えられたのだ。
「最終的には父がそのお金を私の代わりに払ってくれました」
離婚後、実家暮らしを続けながら契約社員やアルバイトとして働きつつ、再婚も視野に入れていたという亮子さん。しかし、趣味の会などで知り合い、見上げるようにして好きになったエリート男性たちからは遊ばれてしまったと淡々と振り返る。「何も考えていない」と自嘲しつつ好奇心は強い亮子さん。騙されやすいタイプなのだろう。
和弘さんとの出会い
36歳のとき、亮子さんはまた安易な選択をする。遠方で菓子店を開業するという「知り合いの社長」から頼まれ、そのスタッフとして働くことにしたのだ。
「引っ越して一人暮らしをしながら朝から晩まで店にいました。社長にはちょっと高圧的な奥さんがいます。私は家族でもないのにこんなに働かされるのはおかしいなと思っていたら、社長の夫婦喧嘩にも巻き込まれるようになってしまって……」
さまざまな人を引き寄せがちな亮子さん。この頃に出会ったのが現在の夫である6歳年上の和弘さん(仮名)だ。障害者雇用のシステムエンジニアとして時短勤務をしており、「社長の友人」として店のホームページ制作などを無償で手伝っていた。
「少し親しくなってから、統合失調症だと打ち明けられました。この病気は大声で叫んだり暴れたりするイメージがありましたが、彼はそんなことはしません。幻聴で疲れやすく、夜中に徘徊してしまうことはあります」
和弘さんの持病は亮子さんの「上から目線のボランティア精神」をくすぐったようだ。恋愛感情ではなく慈愛の心で交際して結婚。生活環境を変えることが難しい和弘さんのために彼の両親が住む実家で同居することにした。
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