フランスでも、「行き過ぎた風刺」は論点に 表現の自由は、無制限の自由ではない
すべての宗教には存在する権利があり、人にはそれぞれの宗教を信じる・あるいは信じない権利がある。信仰は人間が作る法律によっては支配されない。
宗教と政治を分けて、宗教を公的分野の外に置くというフランスの体制が他の体制よりも良いといっているわけではない。共和国の仕組みがそうなっていると言っているだけだ。
――フランスが擁護する表現の自由とは?
これには宗教を嘲笑することも含む。ユーモアの一部だ。しかし、名誉毀損、侮辱、憎悪や暴力の扇動、テロリズムの擁護は違法だ。
――シャルリ・エブドの風刺画についてどう思っていたか。
風刺画の中には衝撃的なものもあった。個人的には好きではなかった。私には週刊紙を買わない自由があった。
――先日、ユダヤ人を殺害したテロリストに共感するようなコメントをフェイスブックに書いたコメディアン、デュドネが逮捕された。フランスの表現の自由は二重基準という人もいるが。
シャルリ・エブドやそのほかの風刺媒体とデュドネとは違う。彼はユダヤ人を憎悪させるような表現を使って過去に有罪となった。今回はテロを扇動するような表現だった。多くの若い人がデュドネにあこがれている。笑わせてくれるし、有名だからだ。「自分は(ユダヤ人を襲撃した)テロリストの心に近い」と言うのは、人種差別を禁止する共和国の法律に違反する発言だ。
ユーモア、風刺の困ったところ
――日本の読者の多くはフランス市民同様に表現の自由を擁護するが、実際にシャルリの風刺画を見ると、その一部に困惑する人もいる。
それがユーモア、あるいは風刺の困ったところだ。ある文化の下では面白いというユーモアが、別の文化では侮辱になり得る。ユーモアを別の文化に移し変えるのは難しい。
シャルリ・エブドの風刺画がショッキングに見えるというのは非常に良く分かる。ここフランスでもショッキングだ。ただ、嘲笑や風刺には限度がないということを知ったうえでのショックである。この点が受容されていないと、風刺画は適切ではないということになるだろう。
個人的には表現の自由を擁護するが、同時に、ジャーナリストは自分ができることの限度を考える必要があるだろう。それを超えて他の人を傷つけたり、侮辱したりしないように考えるべきだ。
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