戦争やパンデミックが「予測不可能」である理由 歴史家がカオス理論から読み解く「大惨事」
それぞれの政治指導者には、最も手間のかからない評価を行うか、もっと手間のかかる評価を行うかという選択肢がある。最も手間のかからない評価を行えば、やがて時が過ぎ、間違っていたことが判明するかもしれず、その場合には、高い代償を払うことになる。推量に基づいて行動すれば、自分の骨折りが必要だったことをけっして証明できないが、後にひどく嘆かずに済むかもしれない。……早目に手を打てば、それが必要だったかどうかは知りえない。手をこまぬいていたら、幸運に恵まれるかもしれないし、不運に見舞われるかもしれない。なんとも厄介なジレンマである。
指導者は、惨事を避けるために何かしても、報われることはめったにない。惨事が起こらなかったからといって、人はそれを祝ったり、それに感謝したりすることは稀だからだ。そして指導者は、推奨した予防策が引き起こした苦痛を非難されることのほうが多い。
組織の中間管理職による失敗
もっとも、すべての失敗がリーダーシップの失敗ではない。失敗が発生するのは、組織の階層制のもっと下のほうであることが多い。
1986年1月のスペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故の後、物理学者のリチャード・ファインマンが立証したように、致命的な過失は、打ち上げの成功が大統領演説と重なるようにというホワイトハウスの焦りではなく、アメリカ航空宇宙局(NASA)の中間管理職たちが、破局的故障のリスクは内部の技術者たちの言う100回に1回ではなく、じつは10万回に1回だと言い張った点にあった。
上層部の不手際ばかりでなく、こうした失態も、近代以降の多くの惨事の特徴であることが明らかになっている。
ハリケーン「カトリーナ」に襲われた後に共和党の連邦議会議員トム・デイヴィスが言ったように、「政策立案と政策実施との間に、はなはだしい乖離がある」のだ。
そのような意志疎通の欠如は、船舶の沈没から帝国の崩壊まで、どんな規模の惨事にも見つかるので、「惨事のフラクタル幾何学」が存在していることが窺われる。
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