パソコンにふれること自体が目的になっていることにも気づいた。具体的に見たいものがあるわけでもなく、なんとなくパソコンを開く癖がある。コンテンツではなく、デバイスの中毒になっている。私はスマホには慣れておらず、画面の小ささや、操作法のちがいや、文字入力の面倒くささによって、ネットをしてもストレスばかりたまる。
パソコンを禁止してスマホのみを許可してみると、必要最低限のことしかしなくなった。人によって、スマホは際限なくいじっていられるとか、とにかくテレビを付けていないと落ち着かないとか、色々とありそうだ。赤ん坊のおしゃぶりに似ている。特定のデバイスに結びつくことで、大人は心を落ち着かせているのだろうか。
ネット環境のない状態でも集中は切れている
その後、集中の問題を考察した。よくある失敗パターン。パソコンで作業している。しばらく集中しているが、ふっとネットを見てしまう。連鎖的に色々なページをだらだらと見てしまい、ふと我に返る。こんなことをしている場合ではない。あわてて作業を再開する。しかし、またしばらくすると、ふっとネットを見てしまう。どうして集中が続かないんだろう?
これは勘違いだった。観察してみると、ネット環境のない状態でも集中は切れている。たとえばスタバにパソコンを持ちこんで大喜利の仕事をする。このスタバは珍しくWi-Fi環境が用意されておらず、逆に重宝している。集中が切れると店内をなんとなく眺める。時間としては数十秒。接客している店員を見る。周囲の客を見る。本を読んでいる客や雑談をしている2人組がいる。ぼんやりと視線を漂わせて、どこにも固定されない。そしてまた作業に戻る。
集中というのは一定の時間で切れるもので、普通にしていても、人間の意識は集中と発散を繰り返している。2時間集中していたというときも、2時間ぶっ続けで集中しているわけではなく、何度も途切れているのだが、途切れた意識の空白を、「ぼんやり」が埋めている。
集中が続かないことは問題ではなく、定期的に生まれる意識の空白をネットで埋めてしまうことが問題だった。変な言い方だが、ネット環境があると、集中が切れたときに「ぼんやり」に踏みとどまれない。ネットは人目を引くものにあふれているからだ。反対に言えば、ネット環境のない場所だろうが、周囲に気になるものがあれば集中しにくい。実際、このあいだスタバで隣の席に暗い顔をしたカップルが座り、「私たち、何が駄目だったのかな」と、ドラマみたいな別れ話をはじめて、まずい、これは聞いてしまう、とイヤホンで強制的に遮断した。
(最初から読む⇒第1回:「人は2000連休を与えられると一体どうなるのか?」4月30日配信)
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