屋内施設でも、「マスクはしなくてもいいが、ワクチン接種証明書の提示が必要」としているところがあるほか、消毒や検温などの予防策も日本とは異なるだけに、わざわざ比べる必然性は薄いのではないでしょうか。もともと「脱マスク」議論は、「数あるコロナ対策の中で、マスクだけをピックアップして議論する」という不自然なものであり、もしアメリカと比べるのなら、すべての項目を含むフェアな形でするべきでしょう。
「マスクが閉塞感の象徴」という異常さ
やはり大切なのは、政府や首相がリーダーシップを取って、人々に明確なメッセージを伝えていくこと。今回のように、アメリカのニュースをきっかけに議論をはじめるのではなく、「政府や首相が自ら発信し、それに国民が反応し、理解を深めながら進めていく」という形が分断を生まないための最善策ではないでしょうか。
日本医師会の中川会長は、「まずは束ねるほうの“収束”が来ますよね。そして最終的に終わるほうの“終息”が来ますが、『“終息”が来るんだ』ということがわかった時点で初めて『マスクを外していいんだ』というようになると思います」ともコメントしていました。
しかし、肝心な“終息”の見通しや基準については不透明なままであり、だからこそ不要派の怒りを増幅させています。首相も日本医師会の会長も、肝心なことは言ってくれない。そんな不信感を抱き続けてきたことが、「マスクだけが閉塞感の象徴にされてしまう」という異様な状況を生み出してしまったのです。
前述したような段階的な「脱マスク」の指針や、検査・医療体制の再整備など、必要派の人々に不安を抱かせないための手段は少なくないだけに、いかにこれらを少しでも早く国民に伝えていくのか。一方、私たちが今できるのは、「必要」「不要」の2択で議論して分断することではなく、リーダーたちに行動をうながすことなのかもしれません。
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