シャルリは表現の自由の限界に挑戦していた シャルブが活躍した子供新聞編集長を直撃
赤いズボンがトレードマークのフランソワ・デュフォー編集長が出迎えてくれた。デュフォー氏は子供新聞の創刊者の1人。1990年代、カードを使った子供用クイズを2人の仲間と開発し、フランスや米国で販売した。ここで得た資金を使って、1995年に「モン・コティディアン」を創刊した。3年で発行部数が5万部に達し、「プティ・コティディアン」、「ラクテュ」、「レコ」の創刊に繋がった。
デュフォー編集長によると、デジタル時代に紙媒体の発行部数を順調に増やせたのは、親が子供のために新聞の購読料を払う形にしたからだという。毎年9月には小中学校の教師に向けて無料コピーを送っている。「子供たちが学校で新聞を手にすれば、親に購買してほしいと頼むようになる」からだ。ウェブサイトを通じて教師がトライアルの30部を注文できるようにもなっている。
シャルリ・エブドでの銃殺事件は、デュフォー編集長とモン・コティディアンの読者にとって、特別な意味を持つ。シャルブは デュフォー氏が最初に雇った風刺画家だった。「創刊の1995年から1999年まで、ここで働き1万枚の漫画を描いた。自分にとっては友人であり、一緒に働く仲間だった」。その死は「大きなショックだった。言葉では言い表せないぐらいだ」。
「モン・コティディアン」の表紙にコティヨンが登場
シャルブは「モン・コティディアン」に登場する、少年「コティヨン」と仲間の犬「ロニョン」を生み出した。シャルブが子供新聞を離れてからはコティヨンとロニョンは別の風刺画家たちの手によって描かれるようになった。
9日付の「モン・コティディアン」の表紙にはコティヨンが登場する。自分でペンを持って自画像を描くコティヨン。涙が一粒、流れ出る。中を開くと、シャルブを追悼する特集面があった。
シャルリ・エブドの風刺表現がきつすぎた、過度に挑発的だったという人もいる。このことをデュフォー編集長に聞いてみた。「問題はその表現が合法か、違法かということではないか。シャルリの表現はフランスでは合法だった。フランスには出版や言論の自由がある」。
テロ事件の子供たちへの影響については次のように語った。「大人の世界で起きていることから子供たちを隔離することはできない。フランスのすべての子供たちがテロの話をラジオで聞いたし、テレビやネットで動画を目にしている。私たちが発行する日刊紙も読んでいる。情報がどんどん入ってくる」。
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