シャルリは表現の自由の限界に挑戦していた シャルブが活躍した子供新聞編集長を直撃

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ブリドウロ氏が描いた風刺画の1つは、犠牲者となった風刺画家に見立てた4本のペンが1発の銃弾によってぶち抜かれるものだった。9日付「ラクテュ」の表紙に使われた。

ブリドウロ氏が漫画を描いた、1月9日付けの「ラクテュ」の表紙

ラクテュにもモン・コティディアンにもシャルリ・エブドの風刺画が数枚が掲載されており、その中には14日に発売されたシャルリ紙の表紙にあった風刺画も含まれていた。イスラム教の預言者ムハンマドが「すべては許される」と言っている風刺画である。

子供新聞の漫画は、テロ事件、殺害、暴力による言論の封殺など暗く重いテーマを扱いながらも、どれも思わず微笑むようなユーモアがある。シャルリ・エブドの風刺画に見られたようなきつさ、挑発はない。

物静かに話すブリドウロ氏に、シャルリ・エブドの漫画は過度に対象を揶揄する、時として侮辱とも言える表現だったのではないかと聞いてみた。

シャルリ・エブドは表現の自由の限界に挑戦していた

「確かに度を越した風刺だと言っていた人もいる。しかし、自分は個人的にはやりすぎだとは思っていなかった。表現の自由だ。宗教も風刺の対象として例外ではない。イスラム教徒の一部の人が自分たちの宗教を題材にした風刺画を好まないことは知っている。しかし、違法ではない」。

シャルリ・エブドは表現の自由の限界に挑戦していたのだという。「自分にとっては、『ここまでできる』ということ示すものさしのような役目をしていた。自分のスタイルとは違うが、そういう媒体が存在していることが非常に重要だと思っていた」。

通常はユーモアを使って、子供たちに何かを説明するために描くが、「今回は違った」という。「悲しみと怒りにかられた、リアクションとして描いていた。銃弾が風刺文化を殺したことについて、読者に考えて欲しかった」。

小林 恭子 在英ジャーナリスト

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こばやし・ぎんこ / Ginko Kobayashi

成城大学文芸学部芸術学科(映画専攻)を卒業後、アメリカの投資銀行ファースト・ボストン(現クレディ・スイス)勤務を経て、読売新聞の英字日刊紙デイリー・ヨミウリ紙(現ジャパン・ニューズ紙)の記者となる。2002年、渡英。英国のメディアをジャーナリズムの観点からウォッチングするブログ「英国メディア・ウオッチ」を運営しながら、業界紙、雑誌などにメディア記事を執筆。著書に『英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱』。

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