台湾の天才IT相「スマホ画面を指で操作しない」訳 人を簡単に支配するテクノロジーが存在する
堤:実に明快ですね。生まれたときからデジタルが日常の一部になっている子たちだからこそ、デジタル以外の大切なことを、大人がしっかり教えることが大事になってくると。デジタルコンピテンシー教育の一部でもありますね。
タン:おっしゃるとおりです。
堤:もう1つ、大人が守ってあげなければならない大事なものが、子どもたちの個人情報です。
先日、日本政府は子どもたちの学力や経済状況を一元化してデータ管理する方針を発表しました。これには反発の声も多く上がっているのですが、オードリー(・タン氏)とこうしてお話していると、改めてそこに潜むリスクが見えてきます。
情報の主権者が誰なのか、子どもたちのデータは誰によってどう管理されるのか、何かあったら誰が責任を取るのか、などの情報が不透明なままに、「子どもの虐待を防ぐ」などと、表面的なことだけしか伝えられていないことが、国民側に不信感を生んでいるのです。
タン:それは不信感が生まれるでしょうね。まず少なくとも生徒の側は当然、すべての情報のコピーを持つべきでしょう。政府の役目はあくまでもそのバックアップを提供するもの、とするのです。
もう1つは、相互の説明責任です。いったい、国はそのデータを使って何をするのか。国民が国の責任を問えるよう、政府がそのデータについて合法的にできることの範囲を制限するなど、相互に説明責任を持つための仕組みを最初に作る必要があります。
システムは「性悪説で作る」で成功したエストニア
堤:まさに前回のお話(『台湾に好例「GAFAに独占されぬネット空間」作る術』参照)に出てきた、システムの設計段階のお話ですね。子どもたちのデータを集めること自体の是非でなく、民主的に運営されるシステムや法体系をしっかり詰めることがこの問題の本質だと。
『デジタル・ファシズム』の中に電子政府を持つエストニアの話が出てくるんですが、まさにあの国も「システムは性悪説で作る」を基本にしたからこそ、成功したのです。
デジタル化における子どもたちに関するもう1つの懸念事項は、身体的な影響です。デジタルデバイスもどんどん小型化して、私たちの体の延長になりつつあるでしょう? 日本では「ムーンショット計画」という、体の一部を機械化するSFのような話も進んでいます。
テクノロジーが身体の一部になってゆく中で、とくに小さな子どもたちにとってのリスクとは何でしょう?