増やすことも減らすことも容易で、雇い主との関係が「超競争的」な非正規労働者と、彼らと競争関係に立つ「正社員層の下のほう」にとって、現在の経済・雇用環境は、かつてカール・マルクスが活写したような資本主義の下で労働者がおかれていた状況に近い。だから、この層に該当する人々は、現代でもマルクスの主張にリアリティを感じる場合があるのだろう。
「日本的縁故主義」と「古典的資本主義」という構造
一方、それでは日本経済全体の運営が資本主義なのかというと、まったく違う。日本社会のあれこれを決めている上部構造はメンバーシップが固定的な縁故主義だ。特に政治の世界に2世、3世議員が多いことはその象徴だ。そこそこ高給が保証されているような企業のエリートも含めて、日本社会の意思決定にかかわる人々の多くは血筋・学閥・人的コネなどによって囲い込まれた縁故主義の下にある。
農業や医療の株式会社化に大きな制約があり、郵政民営化も中途半端に頓挫したし、放送局や携帯電話の電波割り当てにオークションもない。そもそも正社員の解雇が自由にできない「労働の商品化が不十分な制度」が資本主義であるはずもないし、その強化バージョンとして言及される「新自由主義」であるなどとは勘違いも甚だしい。
社会的・経済的影響力で上下を決めるとして、日本社会は、上部構造はメンバーシップが固定的な「日本的縁故主義」であり、下部構造は雇用が流動的で労働者が取り替え可能な競争にさらされる「古典的資本主義」の下にある。上部構造は経済の停滞をもたらし、下部構造では不幸な搾取と所得の停滞が生まれる。
非正規労働者は、その労働がまさに商品化されて競争的にプライシングされる。そして、人件費のコストを下げたい企業側には、解雇しにくく社会保険料などのコストが大きい正社員を減らして、必要に応じて雇用できる非正規労働者に置き換えようとする入れ替えのインセンティブが働き、「正社員」の特に下位グループは非正規労働者の労働との競争関係に立つので賃金が上がりにくい。
こうした構造では、経済的困窮者へのサポートや、富の再配分を、企業に「なるべく賃上げしてください」と政府が「要請」するのでは不適切かつ不十分だ。企業によって、事情は異なる。
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