ドイツ人の会議参加者にこの話をしたら、彼はこう語った。戦後数十年間は、人々は思い出したくないと考えていた。しかし1968年の学生運動後に新しい世代が出てくると、この記憶は多くのドイツ人のアイデンティティとなった。
別のドイツ人は、この態度の変化はブラント元首相(西独)に強く推し進められたものだと言う。ワルシャワのゲットーでナチに対し起きた蜂起の跡地を1970年にブラント氏が訪れ、ひざまずいて許しを請うたときだった。後に彼はこう書いている。「あの振る舞いはいったい何だったのかとよく聞かれる。最初からそうするつもりだったのか? いや、違う。ドイツが生み出した歴史的な地獄の縁に立ったとき、何百万人もの虐殺を犯した重責がのしかかってきたのだ。誰だって言葉を失ったときにはそうする」。
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