ドイツには、過ちを懺悔した指導者がいた 反省の心がドイツ人のアイデンティティに

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ドイツ人の会議参加者にこの話をしたら、彼はこう語った。戦後数十年間は、人々は思い出したくないと考えていた。しかし1968年の学生運動後に新しい世代が出てくると、この記憶は多くのドイツ人のアイデンティティとなった。

別のドイツ人は、この態度の変化はブラント元首相(西独)に強く推し進められたものだと言う。ワルシャワのゲットーでナチに対し起きた蜂起の跡地を1970年にブラント氏が訪れ、ひざまずいて許しを請うたときだった。後に彼はこう書いている。「あの振る舞いはいったい何だったのかとよく聞かれる。最初からそうするつもりだったのか? いや、違う。ドイツが生み出した歴史的な地獄の縁に立ったとき、何百万人もの虐殺を犯した重責がのしかかってきたのだ。誰だって言葉を失ったときにはそうする」。

ブラント氏はドイツ人に誇りをもたらした。彼の心からの振る舞いには、世界中のユダヤ民族、また伝えられるところでは当時まだ共産主義だったポーランドの知識層の一部すら心を打たれた。

中国でも文化革命を総括する動き

中国では文化大革命の加害者に謝罪を要求する反体制派が2014年の会合で、「旧紅衛兵もブラント・モーメントを持つよう期待する」と表明した。ある将官の息子は、公式に謝罪した動機を政治的暴力の連鎖を止めるためだと語った。

ブラント氏は大きなリスクを冒した。訪問後の世論調査では、彼の「跪座(き ざ)」に48%が反対し、肯定したのは41%のみ。さらに彼は「ドイツ国土」を放棄したと糾弾される。多くの戦争を引き起こしたとされる古い国境線を維持せずに、ドイツ・ポーランド間の国境をオーデル川・ナイセ川に定めると同意したためだ。1972年4月には不信任決議の憂き目に遭い、わずか2票の差で生き残った。

だがその後もブラント氏は世界中で称賛され、東方外交で1971年にノーベル平和賞を受賞、国内の社会福祉再建に取り組んだ。1972年末には、所属のドイツ社会民主党に地滑り的勝利をもたらした。

私がベルリンに到着したのは、壁崩壊の25周年記念祝賀に4日遅れてだった。新聞はメルケル首相の祝賀会での発言を伝えていた。首相が30万人の参加者に思い起こさせたのは、11月9日はホロコーストの布石となった1938年の大虐殺、水晶の夜の記念日だったこと。彼女もまた、過去の罪の否定は国に誇りをもたらしはしないと理解しているのだ。

仮にこのドイツ首相が岸信介氏のドイツ版ともいえるアルベルト・シュペーア氏の孫だったなら、こうした一連のことは想像もつかない。

週刊東洋経済12月27日-1月3日合併号

リチャード・カッツ 東洋経済 特約記者(在ニューヨーク)

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Richard Katz

カーネギーカウンシルのシニアフェロー。フォーリン・アフェアーズ、フィナンシャル・タイムズなどにも寄稿する知日派ジャーナリスト。経済学修士(ニューヨーク大学)。目下、日本の中小企業の生産性向上に関する書籍を執筆中。

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