日本は1960年代後半、日韓基本条約の批准やアジア開発銀行の設立など、米国の期待以上に東アジアでの日本の役割を拡大していく。だが、米国のベトナム戦争の挫折をきっかけに、70~80年代に入ると日米関係は政治、経済の両面できしみが生じ始める。
共産主義のドミノ化を恐れた米国がベトナム戦争に本格介入したのは65年。だが、戦況はますます泥沼化。69年に就任したニクソン米大統領は、ベトナムからの段階的な撤兵と同盟国への軍事負担の肩代わりを主張し、日本にも従来以上の軍備強化を求めていた。そんな中で起きたのが、日本頭越しの米中接近だった。
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外交と経済のニクソンショック
71年7月9日、大統領補佐官のキッシンジャーが極秘訪中し、周恩来首相と会談。帰国後の同15日に、ニクソン大統領自らが翌年に訪中することをテレビで電撃発表した。
このとき米国は中国に、北ベトナムとの和平交渉の仲介役を求めていた。一方、中国は対立していたソ連の核攻撃の脅威に加え、日米が背後で同盟関係を強めていることに安全保障上の懸念を抱いていた。米国は、米中ソの戦略的三角関係を作りソ連を牽制したのである。
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