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貿易摩擦はなくなったが日本の存在感は低下 プロの警鐘(2)ビジネス/大前研一

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ビジネス・ブレークスルー大学 学長 大前研一

おおまえ・けんいち / 1943年生まれ。日立製作所を経て、米マッキンゼー・アンド・カンパニーで日本支社長、アジア太平洋地区会長など要職を歴任。2010年4月から現職。(撮影:吉野純治)

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これまでさまざまな分野で日米の貿易交渉を見てきたが、背景にあったのは米国の焦りだ。自分たちが世界最大の工業国だと思っていたら、日本企業が軽量化・薄型化・小型化した製品を作り、オーディオや自動車などはたいへんな人気を博した。すると米国は、日本の競争条件が有利だと主張し始め、輸入品に関税を課したり、数量規制を求めたりした。最大の口実は労働者の雇用を守るというものだった。

だが、ジャパンバッシングはしだいに沈静化していった。典型例が自動車業界だ。日本のメーカーはせっかく開拓した米国のお客さんを失いたくはなかった。そこで、多くの部品会社を引き連れて現地生産化を進めた。GMやフォードなどビッグスリーの拠点はデトロイトに集中していたが、ホンダはオハイオ州、日産はテネシー州、トヨタはケンタッキー州というように、さまざまな州に拠点を構えて、生産能力を増やしていった。

ホンダは日本メーカーの中でいち早く米国で生産を開始した

現地化を推し進めたことで、各州の議員からすると地元企業は日本の自動車メーカーや部品会社になった。デトロイトから不満が出たとしても、ミシガン州だけのことで、その他の州では多くの議員が日本企業側につくようになった。世界でも例のないぐらい日本企業が現地に根差したことで、自動車は政治論争のイシューにならなくなったのだ。

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