昭和天皇が崩御し、日本が1989年に「平成」の時代へ移行するのと同時期に、米ソを中心とした世界のパワーバランスにも大きな地殻変動が起きる。
ソ連がアフガニスタンに軍事侵攻した79年以来、米ソの緊張関係は再び高まり、「新冷戦」の時代が続いていた。しかし、新冷戦による軍事対立は両国経済を疲弊させる。
米国は貿易・財政の双子の赤字に苦しみ世界最大の債務国に転落していた。一方のソ連も深刻な経済危機に見舞われ、85年に就任したゴルバチョフ書記長はペレストロイカ(国内改革)路線を強く打ち出し始める。
TOPICS 8
ソ連崩壊から 米国一極体制へ
米ソの緊張緩和機運が高まり、ソ連は88年にアフガニスタンからの撤兵を開始。89年12月にブッシュ(父)大統領とゴルバチョフ書記長はマルタ島で首脳会談(マルタ会談)を開き、米ソ共同で「冷戦の終結」を宣言。44年間続いた冷戦に実質的にピリオドを打った。
ソ連の自由化の動きは隷属していた東欧諸国の自立を刺激し、ポーランドやハンガリー、チェコスロバキアなどで民主化運動が進む。91年8月にソ連保守派のクーデターが失敗したことで、ほとんどの共和国がソ連からの離脱を宣言。ついには、同年12月にソ連は崩壊した。
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