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国民に「希望」を与えたが、経済的には持ち出し 解説(5) 満蒙開拓の経済的損得

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日本経済史の泰斗、故中村隆英氏は、1931年9月の満州事変は、短期間ではあったが昭和恐慌に苦しむ民衆に希望を与えたと書いている。これで「何か新しいことが起こって、世の中の不景気が変わるのではないかという期待を(民衆が)いだいたことも否定できない」というのである(『昭和経済史』)。

このような世論の中で、軍は、32年3月に満州国を成立させたのである。

満州国の経済は順調に発展していたように書かれていることが多い。1930年代初めまで大豆モノカルチャー経済だった満州が工業化され、36年から43年にかけて(資料の最も古い時点からピークの時点まで)、鉱工業生産指数は91.7から166.1に、銑鉄は65万トンから173万トンに、石炭は1367万トンから2600万トンに増大し、生産されていなかったアルミニウムは9000トンとなったとある(本稿の満州国のデータは、山本有造『「満洲国」経済史研究』『日本植民地経済史研究』による)。

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