私たちが住んでいる国は日本であり、憲法で天皇は国民統合の象徴となっているが、いつから日本、天皇と称するようなったかは確証がない。
少なくとも3世紀、邪馬台国の卑弥呼の時代には「日本」とはいわず「倭」であった。名をつけたのは中国の人たちである。彼らが倭と呼ぶのを聞いて、それがわが国の名だと素直に思い込んだ。そして言われるがまま自らを倭国・倭人と称し、王は倭国王と名乗った。倭という語に悪い意味が込められていると知ったのはそうとう後だった。
10世紀に編纂された『旧唐書(くとうじょ)』東夷伝(とういでん)日本国条には、倭国が自分でその名が雅でないことを知り、その国が日の出るあたりにあるので日本を国の名とすることにしたと記されている。おそらくは703年に中国宮廷に到着した粟田(あわたの)真人(まひと)の率いる遣唐使一行が、そう伝えたのだろう。
蔑称だった「倭」 律令国家移行で返上へ
天皇という称号もほぼ同時期に定めたようだ。蔑視される存在と見られることを拒否し、自国を中国と対等か、できれば中国以上の国に押し上げたいとの国家的野望が湧き起こっていたと考えられる。その意志を明らかにしようと、日本、天皇に改めたのだろう。
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