1941年12月の太平洋戦争の開戦、そしてそれが足かけ5年の長きにわたり、内外に多大な犠牲を出して日本の敗北に終わったことについて、昭和天皇(1901〜89)に責任はあったのか。
説は大きく二つに分かれる。一つは政治的責任があるのは明らかだとする説。大日本帝国憲法第4条が、天皇を「元首にして統治権を総攬(そうらん)し」、つまり国家の最高責任者と定めていることが根拠である。もう一つは、形式的にはともかく、政府・軍部が合意した場合、天皇はそれを受け入れるのが慣例だったので、天皇に実質上の政治的な責任はないという説である。
いったいどちらが正しいのだろうか。
日本政府は、実質責任なしという説を敗戦直後から一貫してとっている。しかし、大日本帝国憲法第11条に「天皇は陸海軍を統帥す」と、天皇に軍隊の最高指揮権があることが明記され、憲法の規定上、軍隊の指揮について輔弼(ほ ひつ)する機関は存在しない。日本軍の作戦本部として、陸軍に参謀本部、海軍に軍令部があったが、いずれも法的な位置づけとしては天皇に軍備計画や作戦計画を提案するだけで、提案を実施するかどうかの判断は天皇の専権事項だった。
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