クリミア併合に何の意味があったか知ってますか 常に支配国が変わってきた歴史を経て今がある
2014年3月16日、クリミアで突如「独立」の是非を問う住民投票が行われます。その結果、ウクライナからの独立と「クリミア共和国」の樹立が発表されました。もっとも、ロシアに飛び込む1日前のまったく説得力のない独立で、3月17日にクリミア共和国が誕生すると、翌18日にクリミア共和国が「望む」形でロシアに編入されることとなります。
この編入劇の裏には、ソ連復帰直後にスターリンが行った「ロシア人送り込み」政策が効いています。
ある国が他国に侵攻する際、必ず必要になるのが「理由」です。なかでも移民を送り込み定住させることは、「自分たちの同胞が虐げられている」「同胞が望んでいる」と主張できるため、時間はかかるものの体のいい理由を作れます。
勝算のある「投票」そして「地元民が望んだ形」
現在のウクライナ侵攻でも、当初ウクライナ東部の「親ロシア派」が独立騒動を起こし、ロシアは同胞を守るため独立を承認したことを覚えている人も多いのではないでしょうか(東側なのは、ロシアと近くて移民を送りやすいから)。
事実、クリミアの独立をめぐって住民投票が行われた際、半島の多数を占めているロシア人の多くは、祖国と運命をともにすることに賛成しました。スターリンが大量にロシア人を送り住まわせたからこそ、勝算のある「投票」、そして「地元民が望んだ」という形をとることができたのです。
クリミア共和国がたった1日で独立を終え、ロシアとの合併を選んだことを考えると、明らかにプーチンの影がちらつく独立です。
しかし、この半島の地政学的運命とこれまでの歴史を考えると、クリミアが新たな支配者の手に渡るのはこれが最後と決めつけるのは早計でしょう。国家や国境が人工物である以上、ちょっとした出来事や思わぬ理由で国の形は変わります。クリミア半島の場合、「凍らない海」という自然の産物に人間側が歴史上常に動かされ、支配国が変わっています。まさに今、地政学と歴史を学ぶ意義が高まっているのではないでしょうか。
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