日本人の間で進む「清潔こそが正義」社会のリアル 私たちはこの「漂白化」の前にはなすすべもない

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なお花王によると髪を洗う頻度は劇的に変化している。
 平安時代:年1回ほど
 江戸時代:月1~2回(最も高頻度な江戸の女性で)
 昭和戦後:月1~2回
 昭和30年頃:1回/5日
 1980年代:2~3回/週
 1990年代半ば:ほぼ毎日(10-20代女性)
 2015年:ほぼ毎日(10-50代女性)
(出所)「洗髪/頭皮と毛髪のケア」(花王)

なお、2015年には(10~50代女性)とカッコ書きになっているが、労働層では男性でも同程度と思われる。

また男性用化粧品の売上が順調に伸びていることは、いくつかの違う統計データからも確認できる。

きれいさや清潔さを求めるようになった3つの理由

では、なぜ私たちはこのように、きれいさや清潔さを求めるようになったのだろうか。ここ以降は仮説になるが3つをあげたい。

① 自分写真の増加

個人的な話だが、私は小学生のとき祖父を亡くした。葬式のとき、遺影の顔が、私が見慣れたそれとまったく違ったのを覚えている。死の前後を覚えていないのに、むしろ、それだけを覚えているくらいだ。母に訊くと、写真がほとんど残っていなかったらしい。おなじ経験をした人も多いに違いない。私は40代だが、祖父母の若かりし頃の写真となると、数枚しかない。

それが私の父の時代だと、若かりし頃の写真は、祖父母の10倍くらいだろうか。そしてスマホなど記録媒体が増加することでシニア世代の写真は100倍以上になっている。私の息子などは死ぬまでに、旧世代の10万倍くらいの写真を記録するだろう。

これまで自らの写真を確認するタイミングが少なかったところ、現代ではつねに自分の顔や全身を見ざるをえない。これでは意識しないわけにはいかないだろう。ほぼ毎日のように自分の顔や体型を客観視しているので、その変化にすぐ気づくようになる。ある種の美意識も獲得する。

② 美容の低価格化

ユニクロなどの低価格ファッションの台頭は見逃せない。昔と違って、少しのお金でファッションを工夫することができる。こざっぱりするのに大金を要しない。誰もが経験があると思うが、身なりの良い人に「実はこれユニクロなんです」「これZARAなんです」と告白された経験があるに違いない。そして、それは言われなければミドルブランドと違いがわからない。

誰もが意識しだいで格好を改善することができる。そして、多くの人はそれをやっている。さらに自分の写真をつねに見ることによって、自分の身なりを確認する機会も増える。

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