「ロシア対ウクライナ」地政学から見た紛争の裏側 ハートランドを領土とするロシアからの景色

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19世紀のナポレオン、20世紀のヒトラーは、ハートランドであるロシアを制圧するべく奮闘しますが、地の利を生かしたロシア(ソ連)軍にどちらも苦戦し、敗退を余儀なくされました。

ロシアは、マッキンダーが名付けた「ハートランド」を領土とする世界最大のランドパワー大国です。マッキンダーの時代、ロシアの北側を覆う北極海は冬になれば凍結するため、その北側に位置するシーパワー国家・イギリスは攻め込むことができませんでした。そこでマッキンダーは、難攻不落のこの地を制するものが、世界を制する――と考えたのです。

1682年にロシア帝国の君主となったピョートル1世は、スウェーデンとの戦いに勝ってバルト海を制圧し、「大帝」と称されました。以降、ロシアは海洋進出のため常に凍らない海を求め、バルカン半島(地中海)、中央アジア(黒海)、極東(日本海)への進出を図ります。こうした動きを「南下政策」と呼びます。

1905年、日本との日露戦争の最中に、ロシア第一革命が勃発。1917年の10月革命を経て、1922年に社会主義国家「ソビエト社会主義共和国連邦」(ソ連)が誕生しました。

その後、第二次世界大戦の戦勝国となったソ連は、社会主義国として、アメリカを中心とする自由主義陣営に対抗したのです。

イギリスやスペインなどの当時のヨーロッパの先進国が海洋に進出して貿易などで巨万の富を得ていくさまを目の当たりにしたロシアは、一年中凍らないで使える港を求めました。以降、不凍港獲得を目指した領土拡張策「南下政策」はロシアの国是になり、ロシア・トルコ戦争、クリミア戦争、第一次世界大戦などの一因にもなりました。

当時のロシアは中国の遼東半島に進出すると、不凍港である旅順港を手に入れ、朝鮮半島へ進出する意欲を隠さなくなりました。朝鮮半島の先には日本がありますから、日本は地政学的にロシアの脅威に晒されることになりました。こうした状況を打破するために、日本は日露戦争(1904~1905年)に踏み切ったのです。

(イラスト:『働く君に伝えたい本物の教養 佐藤優の地政学入門』より)

ソ連財政を逼迫させたアフガニスタン紛争

第二次世界大戦後の世界では、社会主義陣営をさらに拡大させようとするソ連と、それを食い止めようとするアメリカによる、リムランドでの攻防戦がくり広げられました。

1949年、アメリカを盟主に、フランス、カナダ、イタリア、オランダなど12ヵ国(現在は30ヵ国)で創設された「北大西洋条約機構」(NATО)と、1955年にソ連を盟主に、ブルガリア、ルーマニア、東ドイツ、ハンガリーなど8ヵ国で構成された「ワルシャワ条約機構」は、東西冷戦を象徴する軍事同盟です。

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