1978年、アフガニスタンに誕生した社会主義政権に対する抵抗運動が激化したため、ソ連は翌年に軍事介入に踏み切り、新たな親ソ政権を誕生させました。すると、イスラム武装勢力が各地で蜂起。結局、ソ連は兵士約10万人をアフガニスタンに投入し、10年間にわたって駐留させましたが、武装勢力はソ連の中東進出を嫌うアメリカなどの支援を受けていました。
このアフガニスタン紛争の長期化によって財政危機に陥ったソ連は、1991年にあっけなく崩壊。東西冷戦は終わりを告げました。
ソ連崩壊でロシアの勢力圏が大幅に後退
1991年のソ連崩壊により、ワルシャワ条約機構に加盟していた東欧社会主義国は次々とNATOやEUに加盟してしまいました。また、ソ連の直接支配下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、ベラルーシ、ウクライナ、中央アジア諸国も独立国の地位を得て、約2200万㎢に及んだ国土は約1700万㎢まで縮小してしまいました。
2014年2月27日、ソ連崩壊に伴って独立したウクライナで、親ロ派の大統領が失脚し、親EU派政権が誕生する政変がありました。ウクライナは歴史的には帝政時代や旧ソ連時代を通じてロシアの支配下にあり、地政学的にはNATO勢力とのバッファゾーンに位置するため、ロシアのプーチン大統領はこれを看過するわけにはいきませんでした。
そこで、プーチン大統領はウクライナのクリミア半島にロシア軍を投入し、クリミアのロシア編入の賛否を問う住民投票を3月16日に実施。97%以上の賛成があったとし、3月18日に一方的にクリミアを併合しました。
半数以上をロシア系住民が占めるクリミアには、不凍港の軍事拠点セヴァストポリがあります。この港を手に入れることは大西洋に進出するための「黒海ルート」周辺を押さえることを意味するので、地政学的にクリミア併合はロシアにとって重要な戦略だったのです。
その後、クリミア併合を契機に、ウクライナの東部2州で、ウクライナ政府軍と分離独立派(ロシア軍の支援を受けた親ロ派武装勢力)による「ウクライナ東部紛争」が勃発。翌年2月、ドイツとフランスの仲介によってウクライナとロシアは停戦に合意しました。
黒海に面するウクライナは、ロシアにとって貴重な不凍港であるセヴァストポリを擁するため、クリミア戦争や第二次世界大戦の激戦地となりました。全人口の約8割はウクライナ人ですが、クリミア同様にロシア系住民が多い東部2州で紛争がくり広げられています。
2022年1月、ロシアがウクライナ国境付近に大規模な軍部隊を集結させたことで、ウクライナを巡る情勢は予断を許さないものになりました。その後、ロシア軍はついにウクライナへの攻撃を開始します。これらを受け、アメリカはすぐに東欧地域に最大8500人規模の米軍を派遣する準備に入り、ロシアのウクライナ侵攻に対して、厳しい制裁を科す方針も表明しました。ロシアは隣国であるウクライナが欧米主導の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)に加盟しないことを求めていますが、交渉は難航しています。
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