一方で、本作は性的マイノリティーの人たちに対する配慮もあり、アクセシビリティ(障害のある人でも利用しやすくなる機能)も充実しています。テキストの読み上げやフォントサイズの拡大はもちろん、聴覚の障害のある人でも音声の方向がわかるようにしたりと、多くの補助機能があるわけです。
このようにゲームの出来栄えは非常に優れていますし、プレーヤーに対する配慮もきちんとしています。しかしなぜそんな作品が、ここまで残酷な物語を描いたのでしょうか。実は『The Last of Us 2』は単なる“胸糞が悪いゲーム”ではなく、ゾンビものとしてのテーマをきちんと描こうとしているのです。
人は誰かにナイフを突きつけて生きている
平和な世界にいると忘れてしまいますが、生きることは戦いでもあります。豊かな社会であれば多くの人が共存できますが、もし『The Last of Us 2』のようなパンデミックが起こったら? 極端に国が困窮したら? あちらこちらで暴力をふるう人間が出てくるでしょう。
もしナイフを突きつけられて自分が守っているものを要求されたら、立ち向かわなければなりません。そうでなければ自分の大切なものは守ることができず、奪われるだけなのですから。平和な世界でもそれは同じで、自分の権利を守るために(比較的穏便な方法で、とはいえ)戦うのです。
「人は誰かにナイフを突きつけて生きている」というのが、本シリーズのテーマではないかと私は考えています。しかし平和な世界ではすっかり忘れられた残酷な真実であり、それをあまりにも優れた技術できちんと描いてしまったのが『The Last of Us 2』なのです。
『The Last of Us 2』は楽しいゲームを遊びたい人には向いていませんが、苦しい体験も作品として味わえる人にはほかにない傑作といえるでしょう。
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第3回:ゾンビゲームなのに「感動で震える」超傑作の魅力
第2回:「人に騙されてなぜか笑顔出る」凄いゲームの正体
第1回:共感しかない「25歳女性の恋」をゲームにした凄み
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