2004年に成立した「発達障害者支援法」によって、発達障害の早期発見と支援が促されてきた。これまで理解されなかった障害が社会に認められたことで救われた当事者がいる。
一方で、周囲の無理解に苦しんできた加藤さんのような人は後を絶たない。学校では発達障害の児童が普通学級で過ごせるように周囲の環境を調整する「合理的配慮」が推奨されている。しかし、障害が問題視されるがゆえに、学校の環境改善よりも本人の治療が優先されることがある。
この連載で指摘してきたように、子どもの向精神薬の服用は増加しているが、その副作用や依存性は軽視され、成長過程の子どもが長期服用することによる影響は調査されていない。
適応できないことは、病気ではない
学校現場の変化について、発達障害児を診療する小児科医は次のように嘆く。
「以前なら児童同士のトラブルがあれば、職員会議で、児童の関係性や学校や家で何があったのかが話し合われていた。しかし、今では児童がほかの児童に暴力をふるったときも、殴った子が『発達障害だから』と安易に発達障害の問題にされてしまうことがある」
東京都の公立小学校教員の宮澤弘道教諭も、「『あの子はADHDだから』と、学校が子どもを“診断”してしまっている」と指摘する。
こうした現状に、精神科医の野田正彰医師は、「学校の劣悪な環境の問題を、子どもの脳の問題にすり替えている」と憤る。野田医師がそう指摘するのは、子どもの思いを診療でよく聞いているからだ。
「親は外してもらって話を聞くと、子どもはやっと伝えてくれる。『(薬を飲むと)動きがぎこちなくなる。うまく反応できない。自分ではなくなるような感じがする。夕方に薬が切れてやっと本当の自分になれる。でもお母さんは薬を飲めとばかり言う』。親も教師や児童相談所から薬を飲ませるように言われているからだ」
野田医師は、こう続ける。
「たしかに、対人関係がうまくいかない子どももいる。それは周りが望んでいる状態に適応していないということで、上手く適応できないことは病気ではない」
意思決定しにくい状況にある子どもに対し、最後の手段であるはずの薬の服用が優先されているとしたら、それは「本人のため」とはいえない。環境の問題を子どもたちの脳の問題にすり替えると、発達障害の児童生徒数は増える一方だろう。
学校現場に「発達障害」を浸透させるきっかけとなった、文部科学省による2002年の調査。第5回はこの調査の功罪に迫ります(近日配信予定)。
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