いまだ達成できない「物価目標」なぜ2%に設定? 日本や欧米で政策が導入されていった背景

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黒田東彦・日本銀行総裁は2013年春の就任早々、「2%の物価目標」を掲げたが、いまだに達成できていない(写真:尾形文繁)
主要先進国では、公的当局が政策を企画・立案して説明するうえで、経済学がきわめて大きな役割を果たしている。現在のマクロ経済学のモデルでは、モデルの世界に住む人々は基本的に自分の住んでいる世界の経済構造を理解したうえで合理的に行動すると想定されている。ところが、実際の市民は必ずしも合理的期待に沿った行動はしておらず、モデルの示す処方箋に沿った政策は必ずしも期待した結果を生み出してはいない。
そうした現在のメインストリーム(主流派)経済学が直面している課題の1つが、「中央銀行に2%程度のインフレ目標を課したうえで、独立性を与えインフレ目標の達成に専念させる」という枠組みがうまくいっていないことだ。そもそもこの枠組みがどのように形成されたのか。大妻女子大学特任教授の翁邦雄氏が解説する。
※本稿は『人の心に働きかける経済政策』(岩波新書)から一部抜粋・再構成したものです。

最初に採用したのはニュージーランド

インフレ目標政策の普及は「まず理論ありき」で始まったわけではない。

1980年代末から1990年代初めにかけて、政権からの政治的な金融緩和圧力による高いインフレに苦しんでいたニュージーランドを嚆矢として、いくつかの国が採用し、インフレ制圧に成功したこと、それらの国がおおむね2%近傍のインフレ率を目指したことを端緒としている。

最初の採用国、ニュージーランドでは、1970年代から1980年代前半にかけて、2桁のインフレ率が続き、国民のインフレに対する不満が鬱積していた。1984年の政権交代後、新政権はインフレ抑制を決意し、ニュージーランド準備銀行にその達成を指示する。その際、政治目的――とりわけ選挙対策――のために金融政策を操作させるという悪しき慣習の根を絶つことを決意する。

政権与党が選挙に有利な金融緩和を中央銀行であるニュージーランド準備銀行に求めるなど、彼らが現在バイアスに基づく近視眼的な指示を出しても金融政策が歪められない仕組みが模索され、その努力が1989年のニュージーランド準備銀行法として結実した。

この法律に基づき、大蔵大臣と準備銀行総裁は、「政策目標に関する合意(PTA: Policy Targets Agreement)」を設定することになった。インフレ目標値は、PTAに盛り込まれた。

目標の対象となるインフレ指標は、「消費者物価指数」の前年比であり、目標値は、PTAで定められる。当初は0~2%と定められたが、1996年12月のPTA改訂で目標レンジが0~3%に拡大され、2002年9月からは、目標レンジは1~3%に修正された。

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