いまだ達成できない「物価目標」なぜ2%に設定? 日本や欧米で政策が導入されていった背景

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

カナダもインフレ圧力にさらされ続けていたが、1990年代初めには間接税の導入と石油価格の上昇によりインフレ懸念がさらに強まった。このため、1991年2月、カナダ銀行総裁と大蔵大臣が共同でインフレ目標の導入を宣言した。

インフレ目標の対象となるインフレ指標は、基本的には、消費者物価指数の「コア」指標(総合指標から果実・野菜・ガソリン・石油燃料・天然ガス・モーゲージ金利・都市間鉄道・たばこ・間接税を除いたもの)の前年比で、導入当初は「1992年末に2~4%、1994年央に1.5~3.5%、1995年末に1~3%」という段階的な引き下げが目標とされた。

イギリスは、1980年代、ポンド相場の安定を機軸とする金融政策運営を行っていたが、イギリス国民は根強いインフレに悩まされ続けた。1992年10月、大蔵大臣であったノーマン・ラモントがRPIX(小売価格指数からモーゲージ金利支払いを除いたもの)の前年比を1~4%の範囲内に抑えると発表し、インフレ目標が導入された。

その後、1997年5月の総選挙で労働党の圧勝を受けて改正イングランド銀行法が1998年6月に施行され、これに基づいてインフレ目標値を政府が設定し、イングランド銀行は、この目標を達成するために金融政策運営を行うようになった。なお、目標の対象となるインフレ指標は、2004年から消費者物価指数に変更され、目標値は、2004年1月以降は消費者物価指数前年比2%になった。

主流派経済学が推奨する金融政策の枠組みも収束

ニュージーランドをはじめ国民がインフレに悩み、その抑制に大きな関心を寄せていた多くの国がインフレ目標政策のもとでインフレ率の引き下げに成功していく中で、20世紀の終わりにメインストリームの経済学が推奨する金融政策の枠組みも「中央銀行に2%程度のインフレ目標を課したうえで、独立性を与え目標の達成に専念させる」という形に収束していった。

政府・与党の現在バイアス(現在の快適さを無意識に優先してしまい、問題解決は先送りすること)がインフレ率のみにあらわれる場合には、この枠組みには都合がよいことが多い。

中央銀行に独立性を与えることで、目先の選挙勝利のための政府・与党の近視眼的な金融緩和圧力から中央銀行を隔離し、インフレを抑制することができる。独立性を与えられた中央銀行は、インフレの数値目標の達成度により説明責任を果たすこともできる。

しかし、2008年の金融危機後、時間の経過とともに、メインストリームの経済学者たちが予期していなかった事態が発生する。

次ページそれはいったい何か?
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事