コミュ力に必要なのは「相手に期待しすぎない事」 人と向き合ううえで「間の取り方」はとても大切
でも、私が本当にショックを受けたのは、実はその後でした。私が異動になった後も番組は何事もなかったように続きました。「自分がいるから成り立っている」と思っていたのは、とんだ思い上がり、錯覚でした。
この事件の教訓はいろいろありました。1つは、自分の気持ちを正直にぶつけるのはいいけれど、時と場合があるということ。軽率にその場の勢いで信じ込んで行動すると、思わぬ落とし穴にはまることを学びました。さらに、喧嘩をするなら冷静でなければならず、感情的に怒っても後で悔やむことになることを身にしみて知りました。
「自分の替わりはいくらでもいる」と痛感
そして何より、職場は自分の力で持っていると思ったら大間違いだということを学びました。替わりはいくらでもいるんだ、と痛感しました。いろんなことに冷や水を浴びせられた1件です。突っ走るだけじゃなくて、ちょっと引いて見なければいけないことを学びました。
コミュニケーションは相手のあることです。だからこちらがどんなに熱い思いで、全力でぶつかったとしても、うまくいくとは限りません。
一番わかりやすいのは、恋愛を考えてみるといいでしょう。こちらがいくら「好きだ」「愛している」と言ったからって、向こうがその気になってくれなければ始まりません。強引にこちらの気持ちのままグイグイ行けば、向こうは逃げてしまいます。さらにはストーカー呼ばわりされるのがオチでしょう。
コミュニケーションも同じです。ただ自分の気持ちばかり押し付けても、相手は負担に感じて引いてしまいます。興味があるならば、かえって自分の気持ちを抑え、相手がこちらに興味を持ってくれるように仕向ける余裕も必要になります。
押すことも大事だけれど、引くことができるかがポイントです。引くことができるのは、どこかに大きな意味であきらめがあるからこそできると思います。
よく、いい歳をして自分の身の回りの不遇をかこち、飲んでは愚痴を言っている人がいますね。こういう人は私から言わせると、しかるべきあきらめがついていない人だということになります。ロクな上司がいないとか、ロクな部下がいないと嘆く。
でも、私の経験からすると、ロクでもない上司や部下が圧倒的に多いのは当たり前です。はっきり言えば、ほとんどがロクでもないのが現実でしょう。私自身、若手のときは不器用で撮影助手失格と言われたほどですし、自分のことばかりで部下の育成を真剣に考えたこともありませんでした。自分のことを振り返ると、自分自身がロクでもなかったわけです。
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