パンダ来日の扉を開いた?ニクソン訪中から50年 世界に広がるパンダ中東で初めてカタールにも
上野動物園の職員は、2頭の体重を事前に知らされていたものの、パンダは人に従順で、体にも簡単にふれることができるとの先入観があった。ところがパンダが到着すると違った。
獣医師の田邊興記氏は「体躯の大きさに思わずびっくりしたうえ、雄雌の同居は困難で、さらに、人が中に入り直接飼育することなどとんでもないとのことであった」と『ジャイアントパンダの飼育 上野動物園における20年の記録』(東京都恩賜上野動物園編、東京動物園協会、1995年)で振り返っている。
エサなどの情報も不足していた。「竹が主食であることは充分認識していたが、はたしてどんな種類の竹が良いのか、あるいは笹ではだめなのか、竹類以外のものはどんな物が良いのか、飼育環境(とくに温度と湿度)をどのように設定すればよいのかなど、事前の情報量の少なさに不安がますます募るばかりの状態であった。このように、初めから予測をつけがたいことも多く、到着後に決定や変更された事がほとんどであった」(同)。
当時の資料を読むと、エサは竹、熊笹、ミルク粥、パン、団子、ミルクセーキ、ニンジン、柿、リンゴ、ブドウなどを与えている。カンカンとランランの成長具合、嗜好、食欲、便の状態、健康状態などを考慮しながら、与える量と種類を少しずつ変えていったそうだ。
ちなみに1972年7月にロンドン動物園で死んだ雌のチチは、チョコレートや紅茶も飲み食いしていた。現在の国内外のパンダ飼育では、基本的にエサの大半が竹で、果物は、おやつやトレーニングのご褒美に与える程度だ。
国交正常化40日後に日本でパンダ公開
カンカンとランランは検疫を経て、1972年11月5日に一般公開がスタートした。日中国交正常化から約40日、来日から1週間で日本初のパンダ公開。信じがたいスピードだ。現在の上野動物園は、リーリーとシンシンを2020年8月24日に園内の新パンダ舎へ移すだけでも、前後の3週間、2頭を非公開にしている。
当初の計画では、カンカンとランランの公開は午前9時~午後4時頃の予定だった。しかし、大勢の人が詰めかけたためか、2頭の疲れが激しく、公開を一時中断。11月8日は公開を中止した。公開時間も午前だけにして、午後は休ませた。公開時間は、後に午後まで延ばした。
手さぐりで奮闘する飼育の日々が続いたが、次第に飼育に関する知見と資料が蓄積されていった。ランランは1979年9月に推定10歳、カンカンは1980年6月に推定9歳でこの世を去った。年齢が推定なのは、野生で保護されて、正確な誕生日がわからないためだ。ランランを解剖すると、お腹に胎児が宿っていた。
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