普遍的な解ではなく多様性こそ尊重すべし--『カイシャ維新』を書いた冨山和彦氏(経営共創基盤(IGPI)CEO)に聞く
彼らは両方に裏切られている。日本的共同体主義から裏切られ、そしてまた、後から入ってきた新自由主義は、彼ら相対的な社会的弱者を吸い取る力を持たない。だからルサンチマンをため込む。それが今の日本の社会のありようだ。
論壇や評論家、そして政治家の知的な貧困さが、その二つの普遍への振れを大きくする。リーマンショックを経て新自由主義はダメだから、共同体に戻ろう、やはり正規雇用だ、旧来のカイシャだと言い出す。だが、『三丁目の夕日』を懐かしがっても、解決の答えにはならない。
--日本的普遍ではもはや不適合なものが随所に見られます。
現実からいくつも事例が引き出せる。雇用で言えば、少子高齢化の中で、終身年功制の組織が世の中の人たちを救い上げる余地は2~3割しかない。そうなれば残りの7~8割はどうやってもこぼれ落ちる。
少なくともカイシャとは違うタイプの会社を認めていかないと、彼らを吸収できない。終身年功制を前提にしているかぎり、今在籍している人を守ろうとするから、若者を雇えない。若い人を雇える吸収力を持っている会社は、新しい企業体だ。新しい企業体がどんどん出てくるようにしなければいけない。それこそ新産業を作らなければならない。
--アングロサクソン的普遍では?
他方で、株主がすべてを支配するという会社のありようもおかしくなっている。もちろん共同体的なカイシャがあってもいいし、大事なことは多様性を容認することだ。二つの大きな普遍のどちらかに走っていくのではなく、いろんなものが存在することを認める。生物多様性と同じ。そこでは良好にワークするところがおのずとシェアを大きくする。その結果として、ダーウィンではないが、いちばん適応するものが、結果的に世の中で大きな幅を占めていくことになればよい。