「俺のフレンチ」も取り入れた、常勝戦略 T型フォード、ドトールも同じ戦略だった!

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さらに最新の自動コーヒーマシン、自動食器洗い機、自動パン焼き機を海外から調達した。これらの機械は高価だったこともあり、当時はほとんど普及していなかった。これにより少人数スタッフでもサービスを提供できるように、徹底的に省力化を図ったのだ。

そしてコーヒー豆の品質は落とさず、本格派コーヒーを追求し続けた。この結果、ドトールコーヒーショップは急成長。1000店舗を超えたのである。

しかしドトールといえども、このモデルを最初に実現した企業ではない。今からさかのぼること100年、ドトールよりもさらに先行して、世の中を大きく変えた企業がある。自動車メーカーのフォードだ。

かつて超高級品だった自動車を一般家庭に普及させるきっかけになったのが、1908年にヘンリー・フォードにより発売されたT型フォードだ。T型フォードは1927年までに、実に1500万台も生産された。

一般にヘンリー・フォードは、「大量生産の天才」とされている。組み立てラインを作ったことにより、生産コストが劇的に下がり、売価を下げることに成功。そうして、500ドルの車が何百万台も売れたと称えられている。

しかし「マーケティング界のドラッカー」と呼ばれたセオドア・レビットは、こう述べている。(出典:『T.レビット マーケティング論』セオドア・レビット著、ダイヤモンド社)

世間は決まってフォードを生産の天才としてほめるが、これは適切ではない。彼の本当の才能はマーケティングにあった。
フォードの組み立てラインによってコストが切り下げられたので売価が下がり、500ドルの車が何百万台も売れたのだ、といわれている。しかし事実は、フォードが1台500ドルの車なら何百万台も売れると考えたので、それを可能にする組み立てラインを発明したのである。
大量生産は、フォードの低価格の原因ではなく、結果なのだ。
フォードがその経営哲学を簡潔に述べた文章を紹介しよう。
「まず価格を低いところに決め、その価格で経営が成り立つよう、全員が最も効率よく働かざるをえないようにすることだ。....このように追い込まれた状況の中で、製造方法や販売方法について発見を重ねていくのであって、時間をかけてゆっくり調査研究した結果ではない」
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