菅さんがレーザー核融合に挑戦し始めたのは30年近く前だ。ポテンシャルは高いがものになるかどうかわからない研究をやってみたいと言った菅さんを「大手がやっていないなら、やろう」「できないと言わずにやってみろ」と後押ししたのは、当時は社長で現在は会長の晝馬輝男さんだった。この精神が浜ホトの核だ。
浜ホト誕生のきっかけは、浜松生まれの高柳健次郎さんが、現在の静岡大学工学部にUターン就職したところにある。高柳さんは、1926(大正15)年に世界で初めてブラウン管に「イ」の字を映し出した、テレビの父と呼ばれる研究者だ。日本でラジオ放送が始まる前年の1924(大正13)年に、音が電波で送れるなら映像も送れるに違いないと、未知未踏の領域に挑戦していたのだ。
その高柳門下生のひとりである堀内平八郎さんが1953(昭和28)年に晝馬さんたちと設立したのが、浜松テレビ(浜ホトの旧社名)だった。当時も今も、人類未知未踏領域の追究は、浜ホトの理念なのだ。
ものにならなそう、という理由では研究を止めない
浜ホトでは「ものにならなさそうだから」という理由で研究がストップすることはないという。むしろ「そんなことを理由に止めてはならない」という雰囲気なのだとか。冒頭に書いたように、浜ホトには浜ホトにしかない技術が多くあり、それゆえに経営上もかなりの優良企業なのだが、菅さんは「それよりも、国民のため、人類のために研究しています。社長だって会長だって、儲かるとかより、そっちを大事にしていますよ」という。その口ぶりからは、心からそう思っていることが伝わってくる。
確かに、未知未踏の核融合発電が実現すれば、低コストで安全な原料から、高効率にエネルギーを取り出せる。核融合はコントロールもしやすいし、化石燃料を燃焼させるわけではないので地球温暖化防止にも効果があるだろう。資源の少ない日本の国民だけでなく、人類への貢献度は計り知れない。
そういう日が来れば、浜ホトの評価は益々上がりそうだが。
「でも、核融合発電がものになりそうだとなったら、発電装置の部分は大手がやってくれるでしょう。そうなったら、僕らは高出力レーザーを医療に使うとか、インフラの検査に使うとか、そういうことをやっていきたいです。それが未知未踏領域の追究ということです」
その言葉を聞いてボクは、浜ホト応援の勝手連を結成することにした。核融合発電はいつか補助輪が外れ、走行距離をぐんぐん伸ばしていくことだろう。
(構成:片瀬京子)
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