原爆と検閲 アメリカ人記者たちが見た広島・長崎 繁沢敦子著 ~検閲による記事の変貌を克明に追跡
終戦後、連合国の従軍記者は230人以上も日本にきた。メディアが選りすぐった敏腕記者で、相当数が広島、長崎を訪れた。だが被爆地の実情はきちんと伝えられなかった。それはなぜか、という疑問が本書の出発点である。
最初に被爆地に乗り込んだのはオーストラリア人記者バーチェットである。9月2日の東京湾上の降伏式を尻目に広島に向かった。その2日後アメリカ人記者ウェラーが長崎に入る。だが、8月下旬に広島を訪れた者がいた。UP通信東京支局の記者レスリー・ナカシマである。
彼らはスクープを狙って被爆の惨状を書いたが、バーチェットが勝利した。英国のデイリー・エクスプレス紙がバーチェットの記事を掲載し、最初に被爆の惨状を世界に報じた。
アメリカではラジオに後れをとる。9月3日、NBCやABCが最初の被爆報道をした。ナカシマの記事は13紙以上に掲載されたが、ウェラーの原稿はどれも採用されなかった。
原爆の残虐性の報道は次第に減る。原爆症の修正、残留放射能の否定など、科学記者たちが動員され、非人道的攻撃への批判はみられなくなる。
それは「検閲」のゆえだと著者は考える。そこで、オリジナル原稿と掲載された記事とを照らし合わせ、その変貌を克明に追跡する。その緻密さは感動的ですらある。
アメリカで検閲が組織的に行われるようになったのは第1次大戦からである。第2次大戦では、真珠湾攻撃の12日後、検閲局が設置され、同時に報道機関は自主検閲を促される。彼らは権力からの自由と自主性を守るため、自主検閲を強化した。
だが、と著者はいう。もっとも強力な検閲官は、アメリカ人である一人ひとりの心の中に存在しているものであると。
しげさわ・あつこ
フリージャーナリスト。1967年生まれ。神戸市立外国語大学卒業。読売新聞記者、広島市立大学広島平和研究所情報資料室編集員を経る。米PRIのラジオ番組The Worldによる特集Hiroshima’s Survivors:The Last Generation(ダート賞)でプロデューサー。
中公新書 798円 212ページ
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