俳優⇒冷蔵庫マンに転じた60歳が得た最高の天職 還暦を迎えた男は今でもブレークを狙っている

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役者の道を進んでいた(筆者撮影)

「それでスターになれると思っちゃったんですね。これは先に進んだほうがいいと思いました。今思えば、もうしばらくその事務所にいてもよかったんじゃないかな? とは思うんですけど。事務所を辞めて、文学座の入試試験を受けました」

文学座は1937年に創立された、日本の演劇界の最高峰と言ってもいい劇団だ。

「当時は新劇の東大と言われるくらい試験が厳しかったです。試験の項目は8個くらいありました。800人が受験して、昼30人、夜30人しか受かりませんでした」

23歳の冷蔵庫マンさんは見事文学座の試験に合格し、研究生になることができた。

「それで舞い上がってしまったんですね。周りにはいろいろな人たちがいましたけど、役者の経験者は僕だけでした。それでさらに舞い上がってしまいました。自分は特別だって思い込んでいました」

文学座では1年が終わった段階で、研究生から研修生へ上がる。ただし全員が上がれるわけではなかった。ほとんどの人は、卒業という形で文学座を離れることになる。

冷蔵庫マンさんも、研修生になることはできなかった。

タップダンスで無理をしすぎて足が動かなくなった

「心底ガッカリしました。奈落の底に落ちた感じでした。そしてすごく焦りました。何かしなくちゃいけないと思って、急にタップダンスをはじめました。タップダンスって最初の頃って足に水が溜まったりするんですよ。そうなったら休めばいいんですけど、焦っていたから痛くなっても無理やり続けて……それで足が動かなくなってしまいました」

最初は右膝が痛くなり、それから股関節、くるぶし、と下半身すべての関節がひどく痛むようになった。病院で検査を受けたが、痛みの原因は判明できなかった。

「結局6カ月病院に入院しました。退院後も歩くことができず、じっと自宅で療養をしていました」

3年経ってもまだ足は痛いままだったが、自宅近くのコンビニエンスストアでアルバイトをはじめた。

その後、我孫子(あびこ)にあるNECの会社に派遣社員として入社した。足は相変わらず痛く、毎日苦痛をこらえて会社まで歩いていた。

「柏から我孫子まで1駅、JR常磐線に乗って会社に向かっていたのですが、同じ車内にとても可愛い子が乗っていたんです。その子は毎日同じ電車に乗っていました」

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