小林一茶に学ぶ「生きづらさ」飄々とやりすごす術 「親ガチャ」「縁故社会」…江戸時代も辛かった!
江戸後期を生きた俳人、小林一茶。どこか童心にかえったような、ユーモラスな俳句で後世に名を残す彼は、実は幼少期から生涯を通じてずっと孤独だったという。
一茶はどのようにその孤独を乗りこなし、人生を楽しんだのか。一茶の生涯をたどり、彼の俳句を味わいながら生きるヒントを探る著書『楽しい孤独――小林一茶はなぜ辞世の句を詠まなかったのか』を上梓した俳人の大谷弘至氏に、一茶に学ぶ「生きづらい世の中でも飄々と幸せに生きる知恵」をテーマに寄稿してもらった。
「親ガチャ」でハズレを引いた小林一茶
小林一茶(1763〜1828年)といえば、次のような俳句が知られています。
雀の子そこのけそこのけ御馬が通る
やれ打つな蝿が手を擦り足を擦る
雪とけて村一ぱいの子ども哉
やれ打つな蝿が手を擦り足を擦る
雪とけて村一ぱいの子ども哉
いずれも朗らかで慈愛に満ちた俳句です。しかし、一茶の実人生は、こうした代表的な句からは想像も出来ない悲惨なものでした。
我と来て遊べや親のない雀
一茶は「親ガチャ」に外れました。
信州柏原の農家に生まれた一茶は3歳で母を亡くします。やがて父は再婚し、継母がやってきます。そして異母弟が誕生しますが、それ以来、一茶は継母にひどい虐待を受けます。異母弟が生まれたことで、一茶は小林家の邪魔者になったのです。
しかも父の死後には、継母と異母弟を相手に10年以上にわたる遺産相続争いを繰り広げることになります。今からおよそ200年前、一茶は「親ガチャ」に外れたのです。
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