東武浅草駅、まだ知られていない「駅ビル」の秘密 開業90年、リニューアル後も残る「煙突」の形跡

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現在の東武鉄道浅草駅。駅ビルは開業時の外観を再現した(記者撮影)
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東武鉄道の浅草駅は、日光・鬼怒川エリアへの観光に欠かせない特急「スペーシア」や、栃木・群馬方面へのビジネス利用が多い「りょうもう」が発着する東京都心の玄関口だ。堂々とした風格の駅ビル2階のホームから出発した列車は、右へ大きくカーブしてすぐに隅田川橋梁を渡る。少し窮屈で暗い印象の駅から、打って変わって開放感ある水辺の車窓はいかにも旅の始まりにふさわしい。

2020年にはその隅田川橋梁を歩いて渡ることができる「すみだリバーウォーク」や、川の向こうの高架下を活用した商業施設「東京ミズマチ」がオープンした。浅草と東京スカイツリーを結んでエリアの回遊性の向上が図られている。

駅ビルの開業は90年前

東武の浅草駅は1931年5月25日の開業から90周年を迎えた。アメリカ・ニューヨークのマンハッタンにそびえる、「帝国州」の名を冠したエンパイアステートビルとは同い年だ。東京随一の繁華街だった浅草では、その4年前の12月30日に上野との間に地下鉄が開業している。

開業当時の駅ビル。右上に煙突がある。左下には「淺草雷門驛」の文字が見える(岩田武所蔵 東武博物館提供)

開業当時は浅草雷門駅という名称だった。それまでは隅田川の向こう側、現在のとうきょうスカイツリー駅が“浅草駅”を名乗っていたが、業平橋駅に改称した。関東で初めてとなった百貨店併設のターミナルビルは、隅田川を越えて都心に乗り入れた東武鉄道の悲願達成の象徴と言える。同年11月1日には松屋浅草支店が入る駅ビルがオープンした。

駅ビルは鉄筋鉄骨コンクリート造の地下1階、地上7階建て。当時は周囲に高い建物がなく、川に浮かぶ航空母艦のように形容されたという。設計には、大阪・難波の南海ビルディング(1930年)や、三重県伊勢市の近鉄宇治山田駅(1931年)で知られる、久野節(くのみさお、1882~1962年)設立の事務所が携わった。正面大階段の両側には当時からエスカレーターがあった。

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