「体感定年51歳」韓国で仕事を辞めた人達のその後 知り合いの会社に再就職、バイト、不動産投資…
「うちの会社では55歳からが『賃金ピーク制度』の対象となり給料が半分になりますし、役員になれない社員が気持ちよく働けるような雰囲気でもなかった。たいてい後輩の下で働くなんてまっぴらという人が多いですが、私もそうでした」
賃金ピーク制度というのは、定年を前に給与が半分近く削減される制度だ。企業によってピークになる年齢は異なるが、定年年齢を60歳に引き上げた際に給与の調整も可能となり、現在では中堅から大手企業の7割ほどがこの制度を取り入れている(大韓商工会議所より)。
40代になったときに同期はかなり減っていた
韓国で50歳を前後に退職する人の中で、パクさんのように「役員に昇進できなかったため」という理由を挙げる人は多い。
「40代半ばくらいまで順調に昇進していくと、みんな自分は役員になれると思うんですよ(笑)。同期は170人ほどいて、節目節目で昇進できないとわかるとみなパラパラと途中で転職していきます。40代になったときにはかなり減っていましたから、生き残ったと思ってしまった。
先日、役員になれずに定年前に辞めてしまった同期と会ったら、みんな自分は役員になれると思っていたそうです。結局役員になれなかったほとんどが私のように会社を辞めました。残った同期もいましたが、結局はいづらくなって辞めてしまった。みんな55歳前には会社を辞めていますね」
パクさんは役員になれるだろうと思っていたため、退職後の具体的なビジョンはなく、退職後の準備もしていなかったという。
「正直、日々の仕事で精一杯で、そんなことを考える余裕なんてありませんでした。みんな同じようなことを言っていました。私の場合は、役員になれなかったらそのときにその先を考えようなんて思っていましたし」
退職後は当面は失業保険でやり過ごすことにし、まず、知り合いに仕事があれば紹介してほしいと声をかけ、60歳以降の生活費を準備することから始めた。
そして、失業保険の受給期間が折り返しに入ったころ、勤めていた会社が退職者に優先して店舗の場所を提供してくれる制度を利用して、スポーツシューズの販売店をオープンさせた。失業保険が支給されている間は奥さんが代わりに店を切り盛りしたという。
利益もまあまあ出たし「面白かった」が2年ほど続けて閉店した。優先制度が終わり店舗の家賃も上がったためだ。その後は声をかけていた先輩が立ち上げた靴下の製造・卸企業に声をかけられ、就職した。
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