田園調布の住民が「東横線の開業」を恐れたワケ 阪急総帥はあきれた?渋沢栄一「こだわりの街」

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明治神宮の創建と田園調布の造成はまったく異なるプロジェクトだが、両者は渋沢によって深く結びつく。明治天皇の陵墓は崩御前から京都に決められていたが、渋沢をはじめとする財界人たちは、東京にも明治天皇を祀る施設を造営するように請願。それが現在の明治神宮の内苑と外苑として結実するわけだが、国家的プロジェクトだったこともあり、計画段階から明治神宮は政財界のみならず学者や技術者の力も結集した。

明治神宮の創建では、関東大震災後に復興局職員として東京の再建にあたった上原敬二も造園分野の担当として参加した。上原は田園都市に直接的な影響を及ぼしていないが、矢部のほか高村弘平という東急のブランド化に大きく貢献する建築家・造園家を育てた指導者でもある。

高村は東京高等造園学校(現・東京農業大学)で上原の薫陶を受け、1928年に卒業。その後に多摩川園へと入社した。多摩川園は目黒蒲田電鉄が子会社として1924年に設立した遊園地で、田園調布のはずれの多摩川畔につくられた。

五島慶太が認めた「緑化の威力」

多摩川園が位置する場所は田園調布の造成計画に含まれていた。しかし、地主たちに抱き合わせで購入するように持ちかけられたために取得した土地で、当初から住宅地として開発することが難しい雑種地であることは田園都市株式会社も把握していた。購入したからには有効利用を模索しなければならない。そうした方針から、秀雄は遊園地として整備することを考案する。

駅前広場に建立された田園調布の由来碑。田園調布そのものは大田区だが、世田谷区側にも玉川田園調布として住宅地造成されたことが記されている(筆者撮影)

住宅地に遊園地を整備するという奇抜な発想で、問題は解決に向かう。もっとも悩みの種だった常に水が湧き出るという問題は、プールや大浴場として逆利用した。多摩川園は歳月とともに機械遊具が充実していき、そのために子供を対象にしたような遊園地と認識されていくようになるが、開園当初は湧き水を有効利用したことから、現代で言うところの健康ランドのような施設だった。

多摩川園は、田園調布駅と同じく矢部が設計。しかし、開園後の管理や施設の新増設は高村が担当した。高村は多摩川園のみならず東急関連の諸施設でも辣腕を振るった。

東急沿線に高級住宅街が連なっているというイメージが定着したのは、高村が進めた緑化が遠因でもある。緑化が東急沿線のブランド化に寄与したことは、一般的な目線では伝わりづらいが、東急総帥の五島慶太は緑化が沿線のブランド化に大きな影響を与えたことを感じていたため、「目蒲・東横関連の造園は、すべて高村にやらせる」と口にするほどだった。

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