中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家・作家)、施光恒(九州大学大学院教授)、柴山桂太(京都大学大学院准教授)の気鋭の論客4名が読み解き、議論する「令和の新教養」シリーズに、今回は古川雄嗣氏(北海道教育大学旭川校准教授)も参加し、徹底討議。今回は全3回の第2回をお届けする(第1回はこちら、第3回はこちら)。
新自由主義が死なない理由
中野:岸田総理は「小泉改革以降の新自由主義的な政策を転換する」と述べ、「改革」という言葉を使うのを躊躇しました。しかし、新自由主義は靴の裏についたガムのように、日本社会や日本人の精神にべったりとこびりついています。昔、『ダイ・ハード』という映画がありましたが、新自由主義も「なぜダイ・ハード(なかなか死なない)なのか」と言いたくなるほど根強い力を持っています。私は新自由主義からの転換を歓迎していますが、他方で、新自由主義を乗り越えるのはそう簡単ではないことは認めざるをえません。
なぜこれほど新自由主義の生命力は強いのか。その原因はどこにあるのか。この問題について議論していきたいと思います。
施:これはどの国にも共通していることだと思いますが、右派も左派もそれぞれ新自由主義と親和性を持っています。日本で右派と言えば、読売新聞や産経新聞などがそうですが、彼らは冷戦時代の意識を引きずり、日本の共産化を防ぐためには市場経済を守らなければならないと考えています。そして、市場経済を擁護するあまり、どんどん新自由主義に突き進んでいき、ついには新自由主義を批判する人たちを単純に左派や共産主義者だとみなすようになってしまいました。
他方、左派が新自由主義を批判できないのは、経済学者の野口悠紀雄さんの「1940年体制論」に代表されるように、総力戦論の影響が大きいと思います。総力戦論とは簡単に言ってしまえば、戦後の護送船団方式をはじめとする調整型の政治は、戦時中の総力戦体制の名残だとする議論です。この議論が出てきたことで、左派はすっかり思考停止してしまいました。国家が介入して国民各層の利益調整を行うことが戦時体制に由来するものなら、そういう政治はやめなければならない。このように考えるようになったのです。