有料会員限定

元祖「買収王」にルーツ、ミネベア海外進出の極意 1980年代のタイ進出でつかんだ「勝利の方程式」

✎ 1 ✎ 2
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

有料会員限定記事の印刷ページの表示は、有料会員登録が必要です。

はこちら

はこちら

縮小

総合部品メーカーのミネベアミツミは9月20日、カンボジア・プルサット州で新工場の起工式を開いた。同社の貝沼由久会長兼CEOは「この地を精密機械加工品の一大供給地にする」と自信をみせる。「直行便のない場所にこそ投資するべき」と公言する独特な戦略眼の源には、亡き義父の生きざまがあった。

ミネベアミツミのタイ・バンパイン工場の外観(記者撮影)

特集「部品のユニクロ ミネベアミツミ「成長の流儀」」の他の記事を読む

1から続く)「敵をやっつけに行くときって、アウェーなんですよ。高地や風上はどこにあるのか、わからない。だから戦いやすい場所を求めて、その土地の豪族や有力者に助けてもらう。武将は必ず、事前にそうした段取りをする。われわれもまったく同じです」

あえて交通の便の悪い場所へ乗り込み、現地の政府とがっちり手を握り、人材と便宜を得る――。カンボジアへの投資でも示した「勝利の方程式」を、ミネベアミツミの貝沼由久会長兼CEOは戦国時代の合戦になぞらえ、こう表現する。

「(日本企業の投資が近年活況な)インドぐらいになると、われわれが行っても『ワンオブゼム』。つまり地方豪族のサポート体制をなかなか作れない。政府の協力はあるだろうけど、特別なことはしてくれない」

高橋高見氏のDNAを受け継ぐ

こうした考え方のルーツは、同社の中興の祖である故・高橋高見氏(1989年没)にある。今ではアジアの一大工業地となったタイへ40年以上前に進出し、現地で確固たる地位を築いてきたのだ。

実質的な創業家出身の高橋氏は1966年に社長へ就任。当時は珍しかったM&Aを駆使し、小さな町工場にすぎなかった同社をグローバル企業にまで押し上げた。敵対的買収も辞さず「買収王」の異名を取り、後世の経営者たちにも大きな影響を与えた。

次ページ貝沼氏が義父から受けた薫陶
関連記事
トピックボードAD