もともと失言「インフレ率2%目標」に固執する暗愚 日本の「自然インフレ率」他国より低い1%以下?

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経済学では、インフレと経済成長は非常に複雑な関係にあるとされています。歴史的には、デフレ下で経済が成長している例も、インフレ下で経済が成長していない例もたくさん見つけることができます。途上国と先進国でも状況が異なります。

とは言え、不安定かつ激しい高インフレで物価の高騰が起きると、経済成長に極めて悪い影響を与えることはよく知られています。また、激しいデフレも経済に悪影響を与えます。

一方、安定的に低いインフレ率で推移している場合は、総じて経済成長にプラスの影響が生じるというコンセンサスが得られています。

しかしながら、その望ましいインフレ率が何%か、それに対する答えはまだ見つかっていません。

日本銀行は2%のインフレ率を目標にしています。この目標の根拠はおそらく、海外の多くの国が同様の目標を掲げているからだと思います。

日銀が2%目標をかかげたのは2013年1月です。「中長期的な物価安定の目処」を「物価安定の目標」に変更し、その目標を1%から2%に引き上げました。気になるのはそのタイミングで、アメリカの連銀が2012年1月に正式に2%インフレ目標を設けたちょうど1年後なのです。ちなみに、アメリカでは1995年から実質的な2%目標が設定されていたそうです。

たしかに、世界的に多くの中央銀行総裁のインフレ目標のコンセンサスは2%です。しかし日本は、人口動態などが他国と大きく違います。にもかかわらず、他国のコンセンサスを鵜呑みにしてしまったような印象を受けます。

そもそも「2%目標」という数字はどこから出てきたのか

では、世界の中央銀行総裁のインフレ目標のコンセンサスは、なぜ2%になったのでしょうか。歴史をひもとくと、面白い事実にぶつかります。

そもそもインフレ目標というものは、高いインフレが続いていた時代に、主にインフレ率を抑えるために設けられた目標でした。

スタグフレーションの時代では、世界的にインフレ率が高騰して、15%を超える先進国が多くありました。このように高くなりすぎたインフレ率を抑えるべく、各国の中央銀行はいろいろと策を練り奔走していました。

1988年の初めに、ニュージーランド連銀がインフレ率を下げることに言及した政策を設けたところ、間もなくインフレ率が下がり始め、1989年に2%というインフレ率の目標が設けられて、さらにインフレ率が下がりました。インフレターゲット政策が成功したと世界中から注目を集めました。

しかし、なぜ2%だったのでしょうか。

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