5歳からの義務教育におわす文科省構想への懸念 海外の義務教育早期化と日本の決定的な違い
汐見:1980年代になると大学の大衆化が進み、大学の質の低下を防ぐ文脈で、もう一度幼児教育から見直して、5歳児入学をやったほうがいいんじゃないかという話が出てくるんです。典型的には、2003年の中教審に「幼児教育部会」というのができます。そのときも学校の開始期を早めたらどうかということが底流にあるテーマでしたが、ただ、欧米の義務教育早期化とはちょっと意味合いが違うんです。イギリスの5歳児入学は昔から有名ですが、実際は5歳になったら好きなときに入学できるしくみで、しかも内容は幼稚園とあまり変わらない。
おおた:小学校の制服を着て学校に行くんですけれど、やっていることは幼稚園の延長なんですよね。
いまの小学校の形を下に伸ばすだけならまずい
汐見:そうそう。小学生にはなるんですが、2年間かけて幼稚園の延長をやって、少しずつ机に向かってやるような勉強に移行します。日本の小学校2年生のタイミングでようやく本格的な勉強が始まるんです。しかもそのあとの授業も、いわゆる「トーク&チョーク」で子どもたちがただずっと黙って座らせられるってことはなくて、子どもたちが議論したり、調べたり、発表したりってことをやっています。
森のようちえんのような体験的な学びをやるなら義務教育の早期化もいいんでしょうけれど、知識や技能の習得を求められる教育を早期からやられると、もう本当に日本は世界から取り残されていってしまうという危惧があります。
おおた:「世界はもっと早くから義務教育をしているんだから」っていう字面だけを見ると「じゃあ日本も義務教育を早めていいじゃないか」っていう単純な理屈になるとは思うんですけど、その中身が問題で、たとえばイギリスの場合、ちゃんと段階を踏んでいるし、机に座ってのお勉強の開始ははむしろ遅いぐらいだし。
日本でもそれぞれの主体性をできるだけ生かすような多様な学びが認められるならばいいけれど、いまの小学校の形を下に伸ばすだけだったらそれはまずいという……。
汐見:幼児教育の良質な部分を小学校へ上げていくんならいいけれど、いまの小学校のあの形を下におろされたら、ますます時代と逆行するわけです。
(後編「小学校にこそ学んでほしい幼児教育の優れた実践」へ続く)
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