アタリは、「今回の危機によって、われわれは他者が健康であることは自分たちの利益になると痛感するはずだ」と記したが、わたしたちが本当に心の底から実感しているのかはそうとう疑わしい。
欧米諸国に比べて日本の犠牲者が少ないことを強調したい人々は、総じて欧米における桁違いの惨状には目を瞑りやすい。まるで国内が安泰であれば他国はどうでもよいと言わんばかりに。ワクチン供給の世界的な格差問題は、このような自己中心的な思考に根差している。これがいずれコロナ禍だけにとどまらない構造的な難題として、未来のわたしたちに襲い掛かることはほぼ確実であろう。
人類文明に対する真の脅威はコロナ禍ではないのに
生物地理学者のジャレド・ダイアモンドは、『危機と人類』(小川敏子・川上純子訳、日経ビジネス人文庫)の日本語版文庫の序文で、「人類文明に対する真の脅威はコロナ禍ではなく、気候変動、資源枯渇、地球規模の不平等」だと主張した。その上で、これらは「私たちを死にいたらしめるまで時間がかかるし、死因としても曖昧なままになる」という懸念すべき展望を示した。
ここにおいても自分たちをどこに位置付けるかでリスクがいかようにも変容するキマイラ的特性は受け継がれる。
このような文脈においてコロナ禍という危機は、わたしたちの他者に対する根本的な認識や、異なる階層にいる人々との協調性などといったものが、世界レベルの非常事態において上手く作動するかどうかを試す最初のテストのようなものであったのだ。
自らが招来した災厄であるならばまだしも、自らの鈍感さによって身を滅ぼすのでれば、それを悪夢と言わずして何と言えよう。
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