ここにおけるマスク着用は、健康上の理由で難しい場合はもちろん、1人で屋外を歩いている時や屋内であっても近くに他者がいないような状況、押し黙っていられるシーンを指していない。あくまで近距離での会話や発声する場面での話だ。
このような態度の深層に見え隠れするのは、健常者の立場を優先する価値基準のようなものであり、病気や障害のある者や、免疫が低下している高齢者などを軽視し、パンデミック下で生じている死者や重症者を「個体の弱さ」の問題に矮小化しようとする傾向である。
まず注意しなければならないのは、そもそもマスク着用の動機付けが規範に従うことに基づいている面が大きいことだ。心理学者の中谷内一也をはじめとする同志社大学の研究グループが昨年8月に明らかにしたように、「マスク着用は、他の着用者を見てそれに同調しようとする傾向と強く結びついており、本来の目的であるはずの、自分や他者への感染防止の思いとは、ごく弱い関連しかない」。
「ほかの人がそうなので自分も着けたい」が主な理由
要するに「主な理由は、他の人がマスクを着けているので自分もそうしたい、という思いだった」のである(マスク着用は感染防止よりも同調のため!?:“Why do Japanese people use masks against COVID-19, even though masks are unlikely to offer protection from infection?” DOI: 10.3389/fpsyg.2020.01918)。つまり、もともと公衆衛生に対する義務感に強く促されたものではないのだ。当然、緊張感がなくなってマスクを外す人が増えればそれに同調する人も増えるだろう。
また、ワクチン接種の効果に対する過剰な期待も影響を与えている。最近、職場で2回接種済みの人が増えるにつれて、マスク着用にルーズな人や未着用の人が多くなったという話をよく耳にする。
先日、高齢者の集団がカフェでテーブルを囲んでいるのを見かけたが、「ワクチンをしたからマスクはいらないよね」と全員マスクを外して談笑していた。これはワクチン接種によって獲得された心理的な免疫、いわば万能感や解放感のようなものであり、それまであった感染することへの不安や恐怖が払拭された途端、「自分は大丈夫」という正常性バイアスをますます強めることとなる。残念ながらそこに見知らぬ他人の存在が入り込む余地はない。
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