ここ1年の間に、重症化リスクが高い層が統計データとして明確になるにつれて、皮肉なことにわたしたちの社会に潜在する健常者中心主義ともいうべきものを炙り出すに至っている。
新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、2018年にジョンズ・ホプキンス大学の報告書(“The Characteristics of Pandemic Pathogens”)で予見されていたことはよく知られている。無症状者や風邪と似た症状が多い特性があり、さほど致死率が高くないものにこそ人々は油断し、容易に感染爆発を起こして経済活動に多大な損害を与え、結果的に高齢者や基礎疾患がある者など犠牲者数が膨大になると警鐘を鳴らしていたからだ。
ウイルス側の視点から言い換えれば、宿主であるヒトが一枚岩にならずそれぞれの自己の立場を正当化して、社会的な合意が取りづらい状況が継続することこそが最良の生存条件となるからだ。このヒトの心理を見透かした“戦略的なデザイン”は功を奏したといえる。
蔑ろにされたのは、いわゆる健康弱者だけではない。自分たち以外の他人というように同心円状にその対象は広がってゆく。社会的なつながりが希薄になり、周囲の人々への想像力が乏しくなることも、このような無関心を後押ししている。
われわれは誰の生命について語っているのか
経済学者のジャック・アタリは、「そもそもわれわれは誰の生命について語っているのか。自分たち自身の命だろうか。近しい人々の命だろうか。恵まれない人々の命だろうか。それとも今日の人類、未来の人類、あるいは生きとし生けるものすべての命だろうか」(『命の経済 パンデミック後、新しい世界が始まる』林昌宏・坪子理美訳、プレジデント社)と問うた。
恐るべきことにコロナという多面性があるキマイラ的な存在(キマイラとは、頭はライオン、胴はヤギ、尾はヘビという姿をした架空の怪物)を一面で見定めようとする人々は、「自分をどの階層に位置付けるかによっていかようにもリスクを見積もることができる」という点に極めて鈍感なのである。
このような議論を踏まえると、前述したワクチン接種後の心境変化の正体とは、mRNAワクチンという現代科学の粋を集めた新技術によって、自分たちがあたかも健常者にアップデートされ、階層が上昇したがゆえの傲慢さだったわけである。
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