信頼される男・武田信玄の居城が小さかった理由 「人は石垣、人は城」を実践した賢将
一般には目的と手段に速効性のみを追求しがちだ。だが、時間をかけ、費用をかけねばならぬものに速効性を求めてはいけない。
これは何も信玄堤に限ったことではない。「人は石垣、人は城」のとおり、人をまさに“材”とみなす活用法にもあらわれている。
真の人材である、分別・遠慮・兵を求める
独断専行が多い戦国武将の中にあって、信玄は合議を重んじた。出陣に際しては徹底して議論をしたという。聴く耳を持っていたのだ。
「信玄家法」あるいは「甲州法度之次第」とされた規律のさまざまには、公正を重んじたその性格が読みとれる。
自分が法律であるかのような誤解を、信玄は持たなかった。ワンマンにありがちな専横を自ら戒めたのだ。だから、もし信玄自らが法の趣旨に背くようなことがあれば、貴賤を問わず目安に申し出よ、と令達した。人の和を重視する姿勢のあらわれであり、同時に例外状況をつくらない公正さの表明だった。領民に信頼されるゆえんである。『甲陽軍鑑』には、信玄の人の見方を知る上でおもしろい内容が語られている。
一、信玄宣(のたま)ふ、世間に侍の事は申に及ばず、奉公人、下々迄も、具生付たる形義有べし。……一つには分別有る者を佞人と見る。二つには遠慮の深き者を臆病とみん。三つには、がさつ成る人を兵とみん。是大なるあやまり成るべし。分別の有る人は十を七分残して三分申す。遠慮深き者は後先をふみ、常に万事を大事にする。
いささか長い引用だが、人を見極める信玄の眼力がよく表現されている。そこには「分別」と「佞人(ねたみ、へつらう人物)」、「遠慮」と「臆病」、「がさつ」と「兵」のちがいが語られており、真の人材は「分別」「遠慮」「兵」の気風を備えていると指摘する。
表面的な判断で人物を評することの戒めともとれる信玄の人材登用法。人の活用を通じて、信玄は甲斐を一等の国へと育成した。
大局としての森を見ることの重要性もさることながら、足元の木、これを忘れたのでは意味がない。戦国武将武田信玄の教えの1つでもあった。
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