「親ガチャ」に眉をひそめる親たちに欠けた視点 格差や虐待を論じるのは飛躍しすぎている

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3者それぞれの角度からコメントしていて考えさせられるところがありますが、なかでも全員の前提となっているのが、格差の存在。現在の若者は、情報が少なくチャンスを実感しやすかった高度経済成長期に育った親世代より格差を感じやすく、あきらめのムードが漂っている感があります。

たとえば、景気が悪くて元気のある業界や会社が少なく夢を描けない。SNSで同世代の華やかな生活を見てイライラする。ネット上に情報が多く、比較する基準が増え、知らなくてもいいことまで知ってしまい、不満をこぼしたくなってしまうようです。

こういう時代背景があって、若者たちが親ガチャという言葉を使いたくなっているところはあるものの、だからと言って親世代が同情したり、寄り添ったりなどは必要ないでしょう。ネット上の声を見渡す限り、ネグレクトなどに悩まされた一部の人を除けば、親ガチャという言葉を使っている大半は、さほど深刻さを伴わないレベルの不満にすぎません。

「こういう家庭に生まれたかった」という夢想的な意味や、「親にムカついた」という人が思わずこぼしてしまうものが多く、むしろ「ウチの親ガチャは当たりかも」などと気軽に書き込まれたコメントも散見されます。

ネット上に書き込む若者に深刻さなし

つまり、「本気というよりグチ程度のものにすぎない」「親に面と向かって言うつもりはない」「ゲームアプリと同じ感覚で『ガチャ』という言葉を使っている」というだけの若者が多い以上、親世代は「大した問題ではない」とみなせばいいのではないでしょうか。

“親ガチャ”は決してよい言葉ではありませんが、若者にとっては悪意がないうえに使いやすいフレーズであり、すでに同世代の共通語となっているもの。それを大人たちが直情的に「けしからん」と怒ってしまうのは寛容さに欠けるきらいがあります。

また、「スッキリ」の放送でも街頭インタビューで、「そういう単語で済ますものではないなと。使いたいとは思わないです。親のせいとは思わないです」「仕方ないことだけど、いい言葉ではないなと思います。明るい言葉だけど残酷だなって」と親ガチャという言葉に違和感を示す若者の声を紹介していました。親ガチャという言葉は、ほとんどの若者が好んで使っているわけではないのです。

加藤浩次さんは、「『僕が今10代だったら使うだろうな』と思うけど、人生って失敗で終わりなの?『次に頑張れるか』っていうことで、現状を受け入れてどうするか」と熱っぽく語っていました。しかし、多くの若者たちはあきらめたというムードこそ漂わせていますが、「本気であきらめた」というわけでも、「絶望している」というほど深刻でもないでしょう。

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