プライドを生かせる人、生かせない人の決定的差 チームの背中を押すための「究極のメソッド」
軍の世界でもさまざまなユニットにプライドを抱かせるために、過酷な訓練が用いられる。基礎的な歩兵訓練から空挺学校まで、そして特殊作戦選抜コースにおいても、過酷な訓練は兵士に戦闘の準備をさせるだけでなく、プライドを育てるためのものでもあるのだ。
私がタスクユニットの指揮官だったとき、シールチームに属するほかのどのタスクユニットよりもわれわれは過酷な訓練を行った。ほかより早く出勤し、遅くまで訓練に励んだ。射撃の練習や作戦行動の練習も余分に行った。早朝には柔術の訓練をし、その後、フィジカルトレーニングもチームで厳しく行った。われわれはそうしてみずからを鍛えた。
最初、私が訓練を課したときは不満の声もあった。「なぜそんな余分な訓練を行わなくてはならないのか?」「そこまで厳しい訓練を行う意味がどこにあるのか?」「われわれには、そこまでやる必要はないのではないか」などと言うメンバーはいた。
自己鍛錬が誇りになるとき
だが、時とともに不満の声は静まり、私が課した鍛錬をチームは自分から行うようになり、究極的にはその自己鍛錬は彼らの誇りになった。
「うちのチームはどこよりも過酷な訓練を積んでいる」「われわれのタスクユニットに敵うものはない」とメンバーたちは言った。「タスクユニット・ブルーザーに属していないやつは、それを悔しがるだろう」と冗談めかして言うメンバーまでいたが、そこにはいくばくかの真実が含まれていた。
それこそが、プライドだ。そしてもちろんわれわれは過酷な鍛錬を積めば積むほど、よりよい成果を得ることができた。それは、うちのタスクユニットにほかよりも有能なメンバーがそろっていたからではなく、われわれがともにより多くの訓練を重ね、より多くの準備をし、おたがいをより高い水準へと引き上げたからだ。私がチームに課した鍛錬は内在的なものに──つまり自己鍛錬に変化したのだ。
私のタスクユニットのメンバーはみな、自分の割り当てよりも多くの仕事をした。遅刻をする者もなく、道具を忘れる者もなかった。指令には集中して耳を傾けた。何かをする必要があるときは、だれかがそれをやった。
チームをよりよくするためなら、小さな仕事でもみながいとわず行った。それは厳しい鍛錬ゆえ、そして彼らがタスクユニット・ブルーザーにプライドをもっていたゆえだった。
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