ビートルズ解散に学ぶ、起業で失敗の「あるある」 仲間とコラボレーションを続ける2つのコツ

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起業した人に尋ねてみるといい。最高のコラボレーションは、共通のビジョンと目的、より良い未来を築こうという誓いによって築き上げられる。逆に1人が自己主張したら、それは真のコラボではなくて、悪い上司とそれを不満に思う部下の関係と同じだ。

こうした考えは不安という文化を生み出し、何より質の悪い製品につながってしまう。音楽業界の有名な例を紹介しよう。

ビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーが10代の頃出会ったとき、2人を結びつけたのはロック・ミュージックへの情熱だった。2人は学校をサボって曲や歌詞のアイディアを出し合い、2人にとってアイドルだったエルヴィス・プレスリーやバディ・ホリーの真似をして午後を過ごした。2人のコラボは伝説となりアーティストとしても商業的にも前例のない成功を収めることとなった。

別々に曲を書いていたときも、2人は互いに助けを求めたが、曲作りのスタイルは大きく違っていた。ジョンは不安定で激しい感情を込め細かい部分には無頓着であまり興味を持たないが、ポールは一音一音にこだわった。こうした違いが偉大なチームを生んだのだ。

ビートルズの悲劇

ジョージ・ハリスンとリンゴ・スターが加わると、バンドは対等な関係を拡張させて発言権は1人 1票という厳密なポリシーを築いた。だがこれも永久に続くことはなかった。バンドの中で不協和音が生じ、言い争いが始まったのだ。

亀裂が見え始めたのは、バンドのマネージャーであるブライアン・エプスタインが急死したときだ。エプスタインがバンドをつなぎとめていたのは周知の事実で、これを機にファブ・フォー(素敵な4人)ことビートルズの中で分裂が始まり、それぞれが自分の興味を追求し始めた。 エプスタインがいなくなり、ビジネス面を引き受けたがる者は誰もいなかった。音楽面では、ポールはポップ・ミュージックという枠の中での活動続行を望み、ジョンはアバンギャルドを追求するようになる。エゴが行く手を阻むようになったのだ。ジョージとリンゴも曲を書いていたが、ジョンとポールを説得してレコーディングに協力してもらうことはできなかった。

ビートルズが9枚目のアルバム制作のためにスタジオ入りする頃には、言い争いは激しくなっていた。ファンはこのアルバムを真っ白なジャケットにちなんで「ホワイト・アルバム」と呼んでいたが、 ポールは「テンション (ピリピリした)・アルバム」と呼んだ。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴは互いへの関心を失い、もはや共通の目標を持つことはなかった。

1970年のイギリス映画『レット・イット・ビー』にそれを物語るシーンがある。最後のスタジオアルバムのために、ビートルズがリハーサルとレコーディングするところを撮影したドキュメント映画だ。このシーンでポールは押しが強く、他のメンバーの意向を聞き入れないように映っている。ジョージはそんな彼にうんざりして困惑気味に見つめている。交わされる言葉も辛辣だ。

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