ネオクラシック列伝、第2世代GT-Rが愛される訳 人気の理由は高性能とチューニングへの適応性

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第2世代GT-Rと呼ばれる、R32系~R34系のGT-R(写真:日産自動車)

通称「25年ルール」と呼ばれているアメリカ独自のクラシックカー登録制度。これは通常では認められていない右ハンドル車の輸入が登録から25年以上経過すると認められ、排ガス規制に縛られることなく販売・登録が可能になるというもの。

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13年超で重課となる日本の自動車税と比べると夢のような話だが、その制度が80年代から90年代のネオクラシックと呼ばれる国産中古車相場に大きな影響を与えているというのは前回のコラム「90年代スポーツカーが価格高騰でも狙い目な訳」でもご紹介したとおりだ。

今回から当コラムでは、その人気と価格高騰に歯止めがかからない国産ネオクラシックマシンの中から代表的な車種をピックアップしていくことにする。まずは日本はもちろん世界中で愛される日産の名車、第2世代スカイラインGT-Rを紹介していこう。

GT-Rの系譜、第2世代登場までの歴史を知る

ハコスカやケンメリ、そしてR32~R34と並んだ、歴代スカイラインGT-R(写真:日産自動車)

トップバッターとなるのが日産「スカイラインGT-R」。排気量2600ccのRB26DETTエンジンを搭載した“第2世代GT-R”と呼ばれるモデルで、1989年のデビューから2002年の生産中止までの13年間に3モデルが存在している。その最初のモデルとなるのが、25年ルールの存在を多くの人に知らしめ、今のネオクラシックブームの火付け役となったR32系だ。

日産はもちろん、日本を代表するスポーツマシン「R32GT-R」を説明するうえで、まずはスカイラインとGT-Rの変遷について振り返っておきたい。スカイラインの初代モデルは、富士精密工業(後のプリンス自動車)から1957年にデビューしたALSID-1型プリンス スカイライン。その後1966年にプリンス自動車が日産自動車と合併し、2代目モデルの途中から車名が「ニッサン プリンス スカイライン」に変更となる。そして合併後の最初のモデルとなったのが、1968年に登場した“ハコスカ”の愛称で知られる3代目のC10系だ。

1971年の日本グランプリを駆けるハコスカGT-R。No.8は長谷見昌弘、No.6は高橋国光(写真:日産自動車)

このC10系ハコスカのボディに、レーシングカー譲りの2000cc直列6気筒DOHCエンジンS20を搭載したのが初代スカイラインGT-R(PGC10)であった。GT-RはGTレーシングを意味するもので、その名のとおりレースに勝つために生み出されたモデル。エンジンだけでなくトランスミッション、サスペンションなどに専用チューニングが施されるほか、オプションとして多数のレース専用部品も用意。その実力は他の追随を許さぬもので、ツーリングカーレースで49連勝を達成したのだ。

S20エンジンを搭載した第1世代GT-Rは、1973年にモデルチェンジとなったケンメリの愛称をもつC110系でも販売されたが、排ガス規制強化に伴いわずか3カ月間で生産中止。以降のC210系(通称ジャパン)、R30系(通称ニューマン)、R31系(通称セブンス)のモデルチェンジごとにファンは復活を期待していたが実現することはなかった。

1973年モデルのスカイライン2000GT-R。ケンメリという愛称で親しまれるC110系(写真:日産自動車)
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