人の痛みや不安を敏感に感じ取り、理解し、言葉に出すというプロセスが大切というわけです。つまり、「共感力」と言い換えられるかもしれません。
ここが、菅総理の「最大の弱み」と言えるでしょう。派手なパフォーマンスを好まず、「決断と実行力さえあれば支持は得られる」という考え方は、旧来型の日本の政治家には少なくない考え方です。
まさに、「男は黙って〇〇〇〇ビール」「巧言令色鮮(すくな)し仁」とばかりに愚直に言葉少なく、仕事をすればいい。残念ながら、この未曽有の危機下には、そのような考え方は通用しません。
国民が望むのは「正面から向き合ってくれるリーダー」
菅総理は、「3つの勘違い」をしているように感じます。
日本の政治家にとって「コミュニケーション」とは、まさに忖度であり、腹芸であり、政局。つまり、すべては密室の交渉で決まるのであり、「圧力や命令、権謀術数で人は動かすものである」という理解です。
つまり、その目線の先にあるのは、「党内」や「官庁」であり、「国民」ではない。「国民に寄り添い、共感する」などといったリーダーは多くはありませんでした。
「仕事師」と異名をとる菅総理は、きっと「俺の背中を見ろ」とばかり「結果を出せばわかってもらえる」と考えているのかもしれません。
しかし、パンデミックにおびえる国民が望むのは、「背中」ではなく「しっかりと正面から向き合うリーダー」です。コミュニケーションの重要性を切実に理解はしていなかったのか。それとも、わかっていても、今さら、何ができるわけはない、とあきらめたのか。
「話し方」は決して「才能」ではなく、「いつからでも、誰でも、本気になれば、変えられるもの」です。伝えることの重要性に気づき、全力でその改善に取り組んでいたなら、今のような事態にはきっと、なっていなかったはずです。
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