「マウンティング中毒」から抜け出せない根本理由 エゴは「自分が何者か」をわからなくしてしまう

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瞑想するか、それともNetflixを観るか、昼寝をするか、それともジョギングに行くか、スウェットパンツをはくか、デザイナーズ・ブランドを着るか。

何を選ぼうときみ以外に知る者はいない。サラダを食べるのも、ガールスカウトから買ったクッキーを1箱たいらげるのも、きみ次第だ。

周囲に誰もいないとき、感心させる相手も、賞賛してくれる相手もいないとき、どんな自分が立ち現れるか考えてみよう。ちらちらと見えるその姿に、きみの本質が隠れている。格言にもあるとおり、「誰にも見られていないときの自分がほんとうの自分」なんだ。

相手を見下すことに必死になる人たち

自信ありげに見せ、知ったかぶりをするだけが、自他をだますためのエゴの戦略ではない。エゴは他者を貶めることさえ厭わない。相手が「劣って」いると、自分は優越感に浸れるからだ。

そのために、身体的特徴から、学歴、資産、人種、宗教、民族性、国籍、乗っている自動車、着ている服に至るまで、さまざまなものを基準に、自分と他者をランク付けする。相手を見下すためなら、自分との違いをいくらでも探し出す。

もし、自分と違う歯磨きペーストを使っているからという理由で、人を差別するとしたら、どう考えても、ばかげている。それと同じくらい、身体的特徴や生まれを理由に差別をするのも間違っている。肌の色の違いは、血液型の違いより、なぜ問題になるのか。

人間は同じ細胞でできている。ダライ・ラマ14世は言う。「明るい太陽の下、わたしたちの多くは、言語も服装も信念も違いながら、ともに生きています。誰もが同じ人間であり、それでいて、1人ひとりが『わたし』という思いをもっています。そして、それぞれに幸福を求め、苦痛を逃れようとしている点で、わたしたちはみな同じなのです」

インドのカースト制度は「ヴァルナ」の誤用から生まれた。司祭階級バラモンは出自で決まり、他者よりすぐれているから、統治システムの上級職に就くのは当然だ、とする考えは、ヴァルナのエゴ的解釈にほかならない。

一方、慎み深い賢人は、生きとし生けるものの価値を区別しない。僧侶が肉食を避けるのはそのためだ。『バガヴァッド・ギーター』にはこう書かれている。

「完璧なヨーギー〔訳注:ヨーガを実践する人〕は、幸福であれ、不幸であれ、我が身に置き換えることで、あらゆる存在の真の等しさを見る」(第6章32節)

成功でのぼせ上がると、人は他者を平等に見ることができなくなる。きみがどんな人間であれ、何を成し遂げたのであれ、自分は偉い人間だと思って、特別扱いを期待し、要求するとすれば、それは大問題だ。

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